あたしがなにか空白の場所に出たようで、
ちょっと方角も、
目的も分からなくなるタイミングが、
必ずあるのですが、
それは踊り場のようなもの、
私はただ、同じ階段にいて、
次の階へ行こうとしています、、
そういえば、
春の、
この雨のとき、、
感じる倦怠や重たさは、
子どものときから変わりませんね、
心情ではなく、
外界の気分自体が、
こうなのでしょうか、、
うん、
何度かもう書いていますが、
大体、
10代や20代の私の生は、
現実を否定する、
だから現実肯定にひどくかかわるような部分などは、
避けて通ることにしていたのだと、
いうことがはっきりしてきました、
そう見ると合点がいくことが多いのです、
自分でもよく分からなかった私の行動も、、
はっきりとしてくることが多いのです、、
私はねえ、
現実を讃歌してこなかったので、
いざそういう場所に出ると、
戸惑ってしまいますよ、、
どう動いたらいいのかも、
よく分かっていませんが、
一丁前になるのが2024で、
大体あなたがこの本の話を、
理解できるようになるまで、
今まで生きてきた時間の半分はかかりますよ、
と書いてあったその半分が2025で、
多分私は初めてここらへんで、
大人、ではないですね、
人間になろうとしているのだと思います、、
人間になろうとする過程で、
何かを避け、
ゴニョゴニョしていた時間は何だったのかを、
これから考えていくことになりそうです、、
考えなくとも、
それが液になってドロドロだった、
さなぎの時期だったのだと、
考えたらそれでしまいな気はしますが、
こたえを合わせるようなことを、
少しずつしていくのでしょうか、、
ねえ、
私は本音をきいてほしいなどとはあまり思わないようです、、
ただこの皮膚が、
現実と一致していればそれがいいのだろうと思うのです・・・