<2869>「踊り場で、2024、2025」

 あたしがなにか空白の場所に出たようで、

 ちょっと方角も、

 目的も分からなくなるタイミングが、 

 必ずあるのですが、

 それは踊り場のようなもの、

 私はただ、同じ階段にいて、

 次の階へ行こうとしています、、

 そういえば、

 春の、

 この雨のとき、、

 感じる倦怠や重たさは、

 子どものときから変わりませんね、

 心情ではなく、

 外界の気分自体が、

 こうなのでしょうか、、

 

 うん、

 何度かもう書いていますが、

 大体、

 10代や20代の私の生は、

 現実を否定する、

 だから現実肯定にひどくかかわるような部分などは、

 避けて通ることにしていたのだと、

 いうことがはっきりしてきました、

 そう見ると合点がいくことが多いのです、

 自分でもよく分からなかった私の行動も、、

 はっきりとしてくることが多いのです、、

 私はねえ、

 現実を讃歌してこなかったので、

 いざそういう場所に出ると、

 戸惑ってしまいますよ、、

 どう動いたらいいのかも、

 よく分かっていませんが、

 一丁前になるのが2024で、

 大体あなたがこの本の話を、

 理解できるようになるまで、

 今まで生きてきた時間の半分はかかりますよ、

 と書いてあったその半分が2025で、

 多分私は初めてここらへんで、

 大人、ではないですね、

 人間になろうとしているのだと思います、、

 

 人間になろうとする過程で、

 何かを避け、

 ゴニョゴニョしていた時間は何だったのかを、

 これから考えていくことになりそうです、、

 考えなくとも、

 それが液になってドロドロだった、

 さなぎの時期だったのだと、

 考えたらそれでしまいな気はしますが、

 こたえを合わせるようなことを、

 少しずつしていくのでしょうか、、

 ねえ、

 私は本音をきいてほしいなどとはあまり思わないようです、、

 ただこの皮膚が、

 現実と一致していればそれがいいのだろうと思うのです・・・