<4056>「所感(413)」

 具体的な汚れ以上に汚れていると思い込んだり。

 

 そんなに時間が掛かる作業でもなく、これが早く終わったからといってどうということもない、どこに行く訳でもないのに非常にせかせかして、はやく終わらせないと、と思い込んだり。

 

 こういう症状を、潔癖とか強迫症とか呼ぶのだろうけれど。

 

 私はそれに名前がついているからといって、その症状がなんとかなることはなかった。

 

 その根にあるもの、それが発動しているところの当のものが分からなければ、スッキリすることはない。

 

 おそらく私は、それがだいぶ分かった。

 

 というのも、潔癖とか強迫の症状が落ち着いてきた、あるいは消えてきたからだ。

 

 私は、自分が夢の住人であること、もっと厳密に言えば「夢だけに住む」住人であること、世捨て人的であることを、諦めた。

 

 ネガティブ発のポジティブが大事、などの書き方を前にしたのだが。

 

 どうせ身体ある限り、生きていかなければならないこと。

 

 死のうとしても、自分はビビリ過ぎて実行など不可能であること。

 

 そうであるならば、絶望していようがなんだろうが、建設的に生きた方がどうせ世の中は楽しくなってくること。

 

 等々を、諦めて、受け容れた。

 

 受け容れたら、症状はほぼ消失した。

 

 

 つまり、潔癖とか強迫の症状のその根っこには、現実の拒否、生活の拒否、俗的に存在することの拒否があったのだ、おそらく。

 

 だから、生活すること全般、事務手続きだとか、料理だとか掃除だとかをしているときに。

 

 別に個々の作業は難なくできるのに、反対に身体は震えたりしていた。

 

 拒否反応が出ていた。

 

 それら俗的な作業をすることは、自分が現実を拒否しているという前提に反するからだ。

 

 今は、普通の生活に必要なことをして、震えのような拒否反応が出ることはほぼほぼない。

 

 出てもかなり症状が薄い。

 

 私の見立てがあっているのかどうか、もうちょっと様子を伺ってみようと思う。