もう飽きた、もう極めた、もうこの先には何もない、と思う地点まで来ても。
やはりまだその奥があり、その奥に着くとまた奥があり、という世界、どの世界も。
段々もう、奥の奥まで来ちゃうと、分かりやすい昂りとか感動って残ってない。
新鮮味とかの刺激でよろこべる段階はとうに過ぎてしまっている。
その代わりその奥の奥の快楽は、静かで、深く、長い。
ゆっくりゆっくり、奥まで挿れたものだけが、本当に自分のパートナーになっていく。
だらだらだらだら、ゆっくり汁が流れたものだけが、自分の奥深くまで浸透していく。
だから、身につけたい領域は、先を急いではいけない。
止まってもいけない。
利休関連本の、どれに書かれていたか今はもう定かではないが。
利休本人は枯れの人ではなく、ものすごくエロの人だと。
だからエロを最大化するために、待庵のような、小さい、わびしい、エロとは反対の世界を建てておいて、そのなかにひとつ、名器を据えたのだと。
それがエロの最大化だと。
でかくて、周り全部が金ピカで、なんてのは、エロだけど、興醒めのエロだ。
利休が死んで、枯れだけが残り、エロが死んでしまう。
欲情は血流だ。