2017-02-01から1ヶ月間の記事一覧

<128>「穴、私がない」

私が無いというのは、自分を後にして他人に尽くすという話とは関係のないような気がしている。尤も、これは実感であって、昔の仏教の考えなどがそのような利他を指して無私(あるいは無我? 別物?)と呼んでいたのではないのではないか、と言いたい訳ではな…

<127>「大きな声を出す」

大きな声を出す場所がない、別に出したっていいのだろうが、結果迷惑になり、不必要に他人を怯えさせることになるのは間違いない、声を張り上げるのも好きではなかったし、 「もっと声を出せ」 としょっちゅう言われているぐらいのもんだったから、まさかと…

<126>「混乱も度を過ぎると」

途方に暮れる、結果的にずっとそうしていたと、大きな声で笑われている人がいたとしても、私はその人を笑えない、外形的な違いを装っていたからといって、途方に暮れる人でなかったと胸を張るつもりもなければ、張れやしない、自分がそうではなかったなんて…

<125>「そのみっともなさの格好良さ」

それがカウンターパンチ、バランスを取るための姿勢であることは分かるのだが、普通に生きている人が一番だよと、特殊な立場に居ながら言ってしまうことの格好悪さ(必要に応じて「俺には普通は無理だからさ」と添えてみたりもする格好悪さ)はちょっと見る…

<124>「次々に飛ぶ自然」

この野郎っ、腹が立つなあしかしあれはどうなっていたんだっけ・・・帰ったら何を食べようかな、いや許せんな本当に、というように、様々な意識が何の脈絡もないまま入れ替わり立ち替わりすることの方が多く、激しく怒りを覚えるようなことがあっても、その…

<123>「笑っていたら懐かしかったから」

帰るときに衒いがあってはいけない、それから、すぐ帰る奴だからあいつはと思われてなくてはいけませんよ、何ということなどを言っていた気がしたのをハッと思い出したのは、あの人が二度と帰らないような雰囲気でそこを出ていったからだった。じゃ、行って…

<122>「語りは歓喜なのか」

後悔の言葉、懺悔の素振りすら見せない、とんでもない奴だ、きっともうとっくに忘れているんだろう・・・。そうかもしれない、大方忘れているのかも、しかし、そういった告白が歓喜と密接であることを意識し、努めてやらないようにしている場合もあるとは思…

<121>「宙ぶらりんであれという声」

それが一般的に愚かさの証とされることが分かっていても、自分が納得していない限り、あるいはぼーんと突然(無理やりにではなく)分からせられるときが来るまでは、賢明なフリをしないこと、分かったフリをしないこと、いつまでも納得出来ない、考えに考え…

<120>「身振りを見てしまう」

動揺する、それは確信の身振りであり、確信の内容ではない。他者にしか見られないことにも驚くし、他者にその身振りが見えていることにも驚く、つまり確信の身振りを意図することも出来れば、勝手に読み取ることも出来るといった具合、内容がないのだぞと説…

<119>「ニュアンスがこぼれる」

何の判断もつかない、何も分からないと言って、何かが浮上してくることを期待していやしないか、まあいい、取りこぼしの問題、別に解決しなければならないものの類であるかどうかは知らないけれども、それ自体曖昧なもので論が進められるもどかしさ、曰く才…

<118>「不決定や美意識の難しさ」

美意識はその内に排除を含むのではないか、ということを以前書いたが、倫理観にしたところでそうで、極めて倫理的であろうとする努力はどうしても攻撃的なものをその中に宿らせてしまう。こうであらねばならない、こういうことをしていてはいけない、こうい…

<117>「焦る時間のこと」

焦る、それは時間がないという意識からだろうと思われるが(むろん、ここでのそれは、時間というものはないのではないかと直観する、あるいは疑いを持っているという意味での「時間がない」ではない。もしそれを持っていれば、焦りはしないだろう)、それだ…

<116>「やることとかではない」

ただの存在だ、ただの動きだということが強く意識せられるようになってからというもの、意味を見出そうとする問いは、ポジティブなものであれネガティブなものであれ、全てが失敗に終わるよりほかないのではないかという気がしてきている。「一体私は何の為…

<115>「死んだような人」

死んだように映るのではなく、死んだように映すという要請があるということ、つまり、訳も分からず存在してしまっている者が、訳も分からず存在してしまっている仲間を死んだような存在と判定することの訳の分からなさから出発しているのだが、こういうとき…

<114>「核が定まっていれば」

こうと決めたらそれに一直線だもんね、そうか、こうと決めたならそれに一直線、そんなことは思ってもみなかった、というより、別段意識してみたこともなかったが、なるほど確かに言われてみればそうなのかもしれない、嬉しかった、大事なところ、核となると…

<113>「なじむ、なじまない」

人が生活する様を想像しようとする、人が動いて、何を食べ、そして語り・・・。何も分からない、情報がないのか、いや、生活は想像させない、そんなことがあるか、私の想像力が足りないだけではないか。そのまま生活に流れ込んで、自明の理以前の次元であっ…

<112>「自分だけが良ければ、と所有できないものの所有の問題」

自分だけが良ければいいのか、というその、自分だけが良ければいいという状態(心の状態も、具体的な状況も含めて)がよく分からなかったりする。自分だけが良い状態というのを想定しようとしても、何だか全体の景色がぼんやりとしてきて、よく見えないし掴…

<111>「忘れ難い強度で笑う」

すぐ得体の知れないと言いたがる、異様である、そうかそうか、しかし冷静になって、ふと辺りを見回してみたときに異様でないものがただのひとつだってあるのか、物語にそぐうていなくともちゃんと揺れ動く、それは当たり前のことであって、そういう、物語か…

<110>「不決定という構え方は」

不決定は姿勢、態度ではない、いや、態度ではあり得ない、だから困るというか難しいのだが、不決定でいようとすればそれは即決定になる、不決定でいようと決定してしまう、それは不決定ではない。であるから懐疑派というのも変な表現だ。 「果たしてそうであ…

<109>「完全に良くはあれない」

同じ振る舞いでも、果たしてどちらなのかが分からない、それは傍から見ている他人が分からないだけでなく、当人も分からない、そういうことが、例えば、決して言い返さない、汚い言葉に汚い言葉で返さない、黙している、それは美徳といえば美徳だし当人だっ…

<108>「存在の空洞での音が」

結局、あの人は何を好いていただろう、その、何を好いているか分からない存在というのが妙に現実的で、やたらにくっきりとして、答えを返さなければならないのは果たして私か否か、イラストか、それは別の人だった、それも訊いてみて、いや、言われてみて初…

<107>「自分に付き合う」

この私、というものに囚われていてはまだまだだ、という話は分かるが、この私、というものにもう囚われていないと勝手に考えるのはまたそれでいけない、自分の問題などからは去った、自分などはもうどうでもよくて、もっと広く広く見ることが出来ていると考…

<106>「帰り方」

帰る、ということなど特別意識していないような様子で、帰らなければならない、ああ、帰ったね、あれ・・・帰ったよ? あらまずいじゃないと、しばらくの間を置いてから気づかれるような、そんな自然さで、帰ったらまずいかなあとか、よし、ここはもう帰って…

<105>「同じ渦を辿る」

記号とはラベルだ、いち早く辿り着くためにはとても便利なものだ、しかし、ラベルの一致によってそこに来たことを知覚するのではない、ぽっかりと開いた穴、そこに落ち込んで、同じ場所であったことに気がつくのである、だから厳密に言えば記号はいらない、…

<104>「無を中心にして遊ぶ」

鷗外は秀麿として書いたのだから、秀麿の動きとして考えた方がいいのかもしれない、全く分離して考えていくのもおかしいかもしれないが、『かのように』に留まるのは秀麿であって、鷗外は変化していたであろうから、この作品に拘る以上、秀麿として付き合っ…

<103>「内部は違っても同じかどうか」

全く信じていない、あるいはその意味を全く理解していないものでも、他人が熱心に、というより当たり前のものとしていれば、別にそれを乱すつもりはないし、どうしても破らないではいられないという訳ではないから、従っている、その破綻を明らかに示すよう…

<102>「移動の無体重」

飛翔する鳥を見て、自身と混ぜ合わせることはない、ああなれたらと思うようなことも、あまりない。しかし、浮遊を受け取り、何かしらの離脱を受け取る、そういうことはあるのではないか、自信に溢れていなくとも、自信に後押しされているような力強さで、枯…

<101>「独自の形を持っていた」

あるべき理想の状態はこうだ、例えば愛がある、愛を解して、愛に溢れて、それが備わっていない人間には欠陥がある、それが分からない人間はダメだ、と、理想の状態、完璧な状態を想定してから現実の人間を減点で見る、そうやって理想で人をほじくり回すやり…