<2486>「皮膚があたらしく、下の響き」

 今や宙へ、

 はっきりとつられて、

 いるだけなので、、

 ここに姿や、言葉があり、

 流れがあり、、

 存在があり、

 ほうけている、、

 身体は遠くにある、、

 えて、

 えて、、

 なにがなし、えて、、

 また遠くなり、、

 あなたの風景の、なかで、

 複数に、

 徐々にうたいがひろがり、

 流れて、

 うまれる、、

 

 身体は内部に、、

 それから起こり、、

 それから膨らみ、

 それから声を掛け、、

 あたしは連なる、

 もののさなかへ走るとも、

 走らないとも、

 ん、

 なにか分からなくなる、、

 あたしの電磁、、

 悲しみの隙間に、

 いろいろな色が濃く、、

 さてはここにあらわれて、、

 上手くきこえている、、

 からだが膨れている、

 ものが先の方へ見えている、、

 あ、

 皮膚もあたらしい、、

 次々に見えている、、

 この下の響き、

 あぷろうず、

 なあ、なに、あぷろうず、

 だなあ、

 と、

 

 からだははたにあり、

 あたる身体はジにあり、、

 見えて、、

 もののなかへ入る、、

 リズムがあり、

 そのなかで育つ、

 方向があり、

 じっと見つめている、、

 ものが破裂する、

 その隙間に音が生まれる、、

 私はながめる、

 ながめていて奇妙だ、

 奇妙だから時間だ・・・

<2485>「無感に液を埋め込む」

 ながれる、、

 まんなかに、

 少しでもまんなかに、と、

 集まってきて、

 そのなかで、泳ぐ、、

 私は、

 水のなかで過ごす、、

 そうして静かに行く、、

 そうして静かに振るえながら、、

 私はここに来ている、

 身体は、ここに来ている、、

 

 ものをたずねる形というものを、

 掴んで、

 ここまできたんだろうか、

 おそらくそうではない、、

 なにかがおそろしく普通に経過する、

 場所なんだと思う、、

 あなたが揺らぎ始めたら、

 それはまだ、

 場所の速さが残っていたということなのだろう、、

 今はそこを見て、

 今はその存在の零時を、

 私は重なる、

 複雑な地形と、

 記憶の揺れを伴い、、

 あたしは真っ白な線を行く、、

 時間をかけて、

 時間を生んで、、

 なに、

 まったく歩みの線が見えない、、

 あたしは徐々に煙のなかへ入って、、

 そのまま埋もれる、、

 あたしはその姿のなかに入って、

 そのまま育つ、、

 そのまま、まぶされる、、

 次々に歩行して、

 その、様子が見えない、、

 身体を派手にし、

 その、様子が見えない、、

 

 身体が見えない、

 集まる、

 あなたの時刻のなかにもそれは、、

 わたしはうねり、、

 時間のなかではじまる、、

 それから声、、

 それから回転するところ、、

 それから二重になり、

 それから生活する、、

 無感に液を埋め込んだ、

 この身体の地帯が、

 私とともに振るえ、、

 今も全体にきこえる、、

 はい、

 はい、、

 身体は後ろへ入れ・・・

<2484>「『誰もいない部屋』~アジアンドキュメンタリーズ」

asiandocs.co.jp

 

 息子を亡くした両親が、その息子の精子を採取することを望み、その精子で代理母を介して子どもを産んでもらい、祖父母としてその子を育てようとする。

 しかし前例のないその希望はなかなか受け入れられず、訴訟を続けること約三年半。

 結果や如何に、は是非本編を見ていただけたらと思うのだが、いやはや大変興味深いテーマだ。

 

 

 両親は何度も、

「息子の名を残したい」

と言う。

 これが、宗教観とかの違いなのかなんなのか、しかし名前を残していくことがとても大きな問題なんだということは感じる。孫が欲しいよりも名前が残ってほしいという感じが強いのだ。

 

 訴訟での争点は大体、実の親が存在しない子どもというのを、名を残したいという欲望で誕生させるのは子どもにとって不幸ではないか、というところに集まる。それは勝手な都合ではないかと。

 

 しかし子どもを産むことなんて全て親の都合でしょうよ、と両親はぼやく。

 

 あまりにもひどい状況とか、ひどい親であるとか、程度を考慮に入れる必要があるとはいえ、確かに親の都合で子どもは生まれる。

 

 子どもは生まれる時代も、場所も、家族も、何もかもを選べない。

 環境に放り込まれ、環境に翻弄されながら、なんとかやっていくものとして人の生はある。

 

 子を求む人に対し、あなたには勝手な都合があるではないか、ということを突き詰めてしまうと、人は子どもを産むことが難しくなる。

 子どもというのは、どんなところに生まれるにせよ、自分が選択すらしていないところに放り込まれて翻弄される存在である、ということを否定してしまうと、では子どもの立場を考えればどんな状況でも産まないことが善なのではないか、という場所に辿り着いてしまう。

 

 先に述べたように、もちろん程度のことは考えなければならないし、今回のドキュメンタリーもその程度問題が絡んで来るから難しいわけだが、しかし争いのなかで違和感を覚えるのはやはり、

「こういう環境に生まれてくることが適切かどうか」

を争点にして、それに否を突き付けてしまうのは大変危険ではないか、というポイントになる。

 実の親はいない。しかし祖父母はいる。そういう環境に生まれてくることは不適切ですよ、ということを、人間が判断していいものかどうかという疑問がある。

 

 これは特殊な事例だからこそ争われているのだが、仮に特殊な事例でなくとも、

「この環境に生まれて果たして子どもは幸せなのか」

を問える状況というのは無数にあるだろう。私自身も自分の人生を顧みてそういうことを問うてみることがある。

 

 そしてそれを問うてみるまでは良いのだが、実際に第三者が、場合によっては権力を持った第三者が、

「子どもにとっての当たり前の環境というのはこういうものなのですから、そこから外れる場合は子どもを求めないでください」

と果たして言ってしまっていいものだろうか、ということが、どうしても引っかかり続けた。

 それが今回の事例のように、親がいないで祖父母だけがいる子どもが誕生する、という場合でも、それを不適切と決めるのは一体何に拠るのか、不適切だと言って許可しないでしまって良いのか、ということを考えてしまった。

 答えは出ない・・・。

<2483>「太陽のうねりから出た種」

 あたしは身体の中だな、、

 この暗い、

 暗い場所の熱だな、と、

 ひとり言える、、

 ひとりこの場所に始まり得る、、

 もののなかへつながり、、

 ものがさわがしくなり、

 身体に続く、、

 ものがふたつに分かれていく、、

 なに、

 そのなかを覗きたい、

 覗いてみて、

 まったくの空洞だった、

 空洞だ、

 と声をしてみて、

 あたしは、

 身体を立てる場所を見つけた訳ではない、、

 

 順に剥がれ、、

 記憶の一部を持ち、

 そこから全面を構成し得、

 移り、

 浮かび、、

 静かな移動、、

 あたしがたくわえていたものの、

 全部と言える、、

 そこに呼吸が、

 そこに形が、、

 数えられるものとしてあること、、

 あたりに浮かび、、

 目標物のなかで生き得ること、、

 あなたはなかへ続き、

 そこから声をあげている、、

 うつり、

 なかへ通じ、、

 どこからともなくあらわれて、、

 ここに響く、、

 あたしは始まって、

 種のなかに匂いをつけ、、

 ひろがるところに、

 また身体、、

 目指しているところに、

 またその移動、、

 また目覚めているところに、、

 懐かしい動き、、

 

 あなたは太陽のうねりから出た種、

 生まれる種、、

 生まれる種、

 根から来る種、振動と、、

 空気中に浮かんでいること、

 走ること、

 記憶は走ること、、

 電位、線が首を傾げ、、

 わたしも時間のなかで興奮すること、

 速いこと・・・

<2482>「接触と複数」

 あたしはその影の中にいて、、

 今や時間を確かめては、

 ひとつひとつと含んでいくものの、

 その展開を知る、、

 身体は回転しているもの、、

 そのままそのなかでいる、、

 あたしはあたたまる、

 訳もなくあたたまる、、

 そのように過ぎ、

 また複数へかえる、、

 身体は複数へかえる、、

 

 時刻は知り、

 そのためにかえる、、

 そのためにからだは始まる、、

 複数を知り、

 複数のために走る、、

 からだは流れていく、

 今生まれたもののために流れていく、、

 長い道だ、、

 からだにとってこれらは長い道だ、、

 今に住もう、、

 今に住めば生まれる、、

 私はそこで想像する、

 このわたりは何の音なのだろうと、

 そこでわたしは応える、、

 それは無音を明らかに含んでいるより仕方のないもの、

 ここに向かって駆けなければならないもの、

 知れるもの、、

 ただ器になって、

 ここに流れが続くもの、

 そういうものとして存在するヒ、、

 あなたの意識のなか、

 そういうものとして集まり、

 熱を高めていくヒ、、

 身体はどうしてもここにあった、、

 ものの拍子を取って、

 ここに集まって、

 複数の声をしてみせていた、、

 

 あなたは紛れる、、

 この場所に接近する、

 毎日触れる、

 関係が変化する、

 あなたは目覚めている、、

 あたしも振動する、

 どれから出てくるのかは分からず、

 ここにいる、

 ここにいるものの欠け端を拾い、

 私は知る、、

 私は膨らんで、

 ジニチのなかへ、

 より知る、

 より濃い映像になっていく、

 あなたは沈黙する、

 身体の中で声を何度も確かめる・・・

<2481>「ほんの僅かな表情で」

 知らずに見ているものとなり、

 あたしは増え、、

 あたしはその誘いのなかへ入る、、

 入ったらまた回転し、

 それを終えたあともまた、、

 上手く生まれる、

 あたしは低い視線のことを考えている、、

 身体からはじまり、、

 それぞれにかえることを、

 ここで考えている、、

 うん、

 確かにあなたの視線と呼べるものが、

 ここに向かって来ていた、、

 あなたは華やかになって、

 幾度も生まれてきていた、、

 

 私はその映像を確かめれば確かめただけ、

 不安になる、、

 現象が揺らぐ、、

 これはどこの道に連なる、、

 私は順に声を出していく、、

 ものが戸惑う、、

 あたしはその光景のなかに振るえ、、

 ものの正面を目指す、

 あい、

 ひとつのヒかな、、

 どうかな、、

 私にもきこえているのと、、

 静かに伝えてくる、、

 ものはどこにあるのかな、、

 今にただあり、、

 身体のなかは生まれて、、

 そうしてかえる、、

 身体は静かに含まれていく、

 あなたはこちらを見ている、、

 ほんの僅かな表情の変化で、

 その勢いの全てを、

 あらわしてみせている、、

 それには驚いた、

 そうなのか、、

 そんなことだからただ私は、はしゃぎ、

 絡み、

 転げていた、、

 

 一体いくつのヒが、、

 ここにあったことになるのか、

 私には、

 はっきりとは分からなかったが、、

 ものの通る隙間、

 それぞれに、

 あなたはいるのが分かった、、

 いるのが分かるあなた、

 それぞれの回転のあなた、

 膨らみ、

 時刻へ触れ、、

 それぞれに始まっていくあなた・・・

<2480>「また煙の興奮へかえっていく」

 それは傾き、

 私は当たり前のようにそのなかで、

 動いていく、

 動いていくものから次第に、、

 煙が抜けて行き、

 私はその行方を追う、、

 まったく回転して、

 響き、

 これはどこにいるのか、、

 これはどこから始まるのか、、

 もののなかを見て、

 私は響きを始める、、

 身体を掴む、

 底の方から上がってくる、、

 

 私は次々に上がってくるものを、、

 この領域に収め、

 それを喜ぶ、、

 喜んだらまた身体が始まるので、、

 それを見る、、

 見たらまた時間が始まるので、

 それを含む、

 含んだらまた膨らむ、、

 膨らんで、、

 少し、時間が遅くなる、、

 私はまだ身体だ、

 そう思い、

 回転は増した、、

 なにだなにだ、

 まっすぐ見つめているものから、、

 ここをあたりまえに過ぎ、、

 それで世界へ、始まる、、

 あなたが眠っているところ、

 他の誰とも呼べないところで、、

 あなたは複数になる、

 複数になるものごとへ、

 身体をつける、

 つけたらまた浮かびあがっていた、

 浮かびあがっているもの、

 含めるもの、

 知れるもの、、

 そういうものに、

 徐々に私は浸透していった、、

 

 浸透して、

 またそれぞれに繋ぎ、、

 私は始まると、

 すっかり驚いて、、

 ここはなにようであるかを、、

 しずかに知ろうとする、

 その一員になっている、、

 あなたの身体が、

 今、そうなっている、、

 どうしてなのかは分からないが、、

 時間をかけて、

 興奮にかえっていく・・・