<3039>「内側を見る受身の人」

 あたしはまだここで、

 ひとつひとつの眠りを持ち、

 どこまで駆けれる、、

 どこまで放たれるかを、

 しずかに見ている、、

 知らないうち、

 何もしていないのに、

 人を怒らせている、、

 どうして、

 何もしていないのに、

 そして、

 何もしていないから、

 怒らせていることを知る、、

 

 あたしは、

 こんな形の宇宙へ、

 しずかに集まってきただけだった、

 いくつものかたまり、

 いくつもの浮かびでここへきて、

 ずっとはたらく、

 ずっとはたらいている人の、、

 しずかな仕草、、

 しずかに集まる人の、、

 笑っている仕草、

 あたしはつらなり、

 あたしは汗をかく、、

 からだから先にする、、

 先に集まる、、

 あなたはどこまでも言葉をし、、

 わたしはおどろく、

 自然と、自然が、

 内と、外で展開し、、

 あなたはそのあいだに立ち、、

 くたびれて、座っている、、

 また歩き出す、、

 歩いているところに、

 等しいあなたのからだのこと、、

 いくつも書いてありますね、、

 まず私はこの、

 内側の嵐と、

 どう付き合っていったらいいか、

 そこから始めた、、

 私が受身なのはそうかもしれません、

 内側の気配をうかがっている、、

 

 あまりに簡単に、

 ここに運ばれてきたように思える、、

 あなたのからだたち、、

 あまりにあたりまえに、

 ここに浮かんでいる、、

 あたしは眠りを優先する、、

 すべての呼吸に先んじる、

 すべてのヒがここで、

 簡単にふるまいながら、

 ひとつひとつの理由を背負う、

 その姿が・・・

<3038>「内界は他者である」

 内界は他者であり、

 そこが吹き荒れれば、

 私は翻弄されるしかない、、

 じっと耐えているしかない、

 内界には、

 現実の嬉しい出来事や、

 悲しい出来事などとは関係がない、

 独自のリズムがあり、

 私は、

 訳の分からないタイミングで幸福感に溢れたり、

 悲しみの底に沈んでいたりする、、

 私は、

 やってくる嵐に対して、

 どうすることもできない、、

 

 だから、それが過ぎても、

 私は何かを克服した訳ではない、、

 それはただ、

 どうしてか分からないけれど、

 過ぎた、ということでしかない、、

 私がそうするように、

 そうなるように、さしむけた部分はひとつもない、、

 何かが、

 足りなくて落ち込んでいる訳でもないから、

 大丈夫、

 お前は出来ることがいろいろあるし、

 恵まれている部分も、

 いくらもあるのだという盛り上げ方は、無意味だ、、

 

 本当に、

 内界は他者ですね、

 そうしたら、

 私は閉じているとき、、

 内界に向けて閉じているのではなく、、

 むしろ猛威を振るう内界に、

 道をあけているのかもしれませんね、、

 その勢いたるもの、

 私にはどうしようもない、、

 

 私は、

 人を好きなのではなくて、

 自分の気分が、高揚したり、

 逆にまったく反応がなくなってしまったり、

 しているだけなんじゃないか、

 という気がして、

 しょうがなくなるときがある、、

 ねえ、こわいよ、、

 ねえ、あたし、

 どこに出るのだろう、、

 こんな穴のさなかに、いて、、

 しっかり汗をかいて、

 私は、

 どこへ行くのだろう、、

 からだにとって、

 翻弄させる先のあなたは、

 誰なのだろう・・・

<3037>「こぼれそうになり続ける」

 母が、

 自分ひとりのために作る料理は、

 とっても簡単なものになる、、

 と言う、

 私に日常的に用意されていたものは、

 とても張り切って作られていたものだと知る、、

 これは、

 人間として自然なことなのかもしれない、

 私も、

 そもそもの芸がないとはいえ、

 自分のために、

 張り切って食事を作ることをしない、、

 

 人間は、

 自分の為、というのが、

 よく分からないのが自然ではないのか、

 そうでもないのだろうか、

 そこから、

 セルフネグレクトのような、

 病までの距離は、

 どうも遠くないように思える、、

 自分が自分を、

 無視している状態が、

 随分自然なことのように思えてしまう、、

 他人の問題として、

 距離を置いてはみれない、、

 なにかがひどく汚れていったり、

 散らかっていたり、という状態からは、

 一応遠い、

 しかしその遠さは、

 自己を労わるところから来ているようには、

 どうも思えない、

 それはひとつの強迫性であったり、

 乱暴なまでの活力、

 健康さと密接であったりするような気がする、、

 

 私は、

 おそらくどんどんと追い込まれていく、、

 距離があったが故に、

 先人の、苦悩にウケていて、

 調子に乗っていた時間が、

 どんどんと終わりに近づいているのを感じる、、

 私は、鍛える、、

 あらゆること、

 頭も、身体も、

 それは、

 しかし強さや偉さではない、、

 そうでもしていないと、

 私は、

 私が走らせたこの書く生の重みに、

 軽さに、

 おしつぶされてしまいそうだからだ、、

 私は鍛えていないと生きていられないほどには、弱い、、

 自分を余裕のある位置から掬うのではなく、、

 こぼれそうになっているものを、

 必死にあちこち走り回って、

 元に戻している感覚だ・・・

<3036>「底の方を行く声が」

 あたしがものに、

 いくつかえり、、

 いくつその、

 風景のなかの、

 忘れとして、

 からだを残してきたのだろう、、

 私には、

 まったく分からない、

 まったく分からない、ものが、、

 この場所の、

 声と、

 近さを代表する、、

 まったく見えていないものが、、

 あたしを、

 底の方で引っ張る、、

 

 どこへ沈んでゆく、

 これは無限の眠り、

 これは無限の出来事、

 あなたは、

 静かな星で、

 完成したばかり、、

 今なにか、剥がれて、

 新たな呼吸を、

 はじめたばかり、、

 一日の中に、

 はっきりとこの声が育つのを、、

 あなたは確かめていた、、

 あなたはきいたことのない声になっている、、

 どこからも生まれる、

 どこからも先へ行く、、

 あなたが放り、

 しずかに地面を描く、、

 それそのものの、

 人生になっている、、

 ものを放れ、

 放れ放れ、、

 小さな声のする場所、、

 あたしが背負っている景色、

 かくれている姿、

 あたしにはからまり、、

 遠くへ届いている姿、

 

 いろのない場所、

 すっと重みにたえてくる場所、

 あたしは、

 ただしずかに流されていたと、

 内と、外との、

 バランスを考えたく、

 緊張して、

 またこの印のなかにかえってくる、、

 かえってきてごらん、、

 私は安心する、

 私はいつでも違うような気がしながら、

 重たく、

 先へ進んでいく・・・

<3035>「水と外」

 あなたは水を取ります、、

 それを、

 からだに並べて、

 またうんと先へ、、

 存在は、

 ただ矢印を得ます、、

 あたしは現在、

 複数に、

 誕生したままで、、

 その先を見つめるのを、、

 私にお願いする、、

 私はじかに、

 その呼吸にお願いされ、、

 よく分からないまま、

 この地平を見つめている、、

 

 あなたには水の外があり、

 そこに、

 当然のごとく含まれてくるヒ、、

 ヒがあつい、、

 からだがあつい、

 からだは徐々に育っていく、

 なにだろう、

 私は古い身体、

 古い記憶を見つめて、、

 この地平へ還ってくる、

 あなたが育ったり、、

 よそへ膨らんだりする、

 それぞれの光景を見つめながら、、

 私は浮かんだりする、、

 あれ、

 しらぬまにあたためられた、、

 この身体自体、、

 このあたらしい存在自体、、

 あたしがそばにいて、

 あたしがしらぬまにめくられてくる、、

 あなたの存在のおどろき、、

 あなたが風景を成すそのよろこび、、

 どこまでも、

 これはおかしなものの様子でありながら、

 私は掴まる、、

 私は身体を流す、、

 

 私は身体を通して、、

 あなたの辺りに、

 この存在を沈め、

 ここからのものごとを、

 しずかに用意することになる、、

 あたしはいろを見、

 かたちを見、、

 すべてに行き渡ったあとの、

 僅かな存在を見、、

 これはひとつのかたらい、

 ひとつのめぐり、

 どこにつながれる、

 どこにあてられる・・・

<3034>「悲しみの底に手を着けながら」

 私はきちんと、

 悲しみの底に手を着けながら、

 生きる喜びを語っていたいのだ、、

 そこから手が遊離して、

 喜びだけを語っても、、

 私にはもの足りない、

 生きていることがもの足りない、、

 悲しみとさびしさと、

 よろこびがひとつの風のなかで、

 私を踊らせるような、、

 そういう生のさなかに、

 あたしは身体を、

 自分の身体を、用意していたい、、

 

 お前は順番に、

 いろいろなところから、

 汗をかいているほかない、、

 本当に辿り着くとは思わなかった場所に、

 徐々に辿り着こうとしているのは、

 緊張することです、、

 私はいつも叫び出したい、、

 でも叫び出しそうになると、

 なぜか静かに外界を見つめる、

 ひとりの時間が来ます、、

 私は次の瞬間、

 どこにいるのか分からない、、

 あなたはすぐに熱を容れます、

 この、

 生まれたばかりのからだのなかに、

 熱のすべてを、

 招待します、、

 よろこんで踊りましょう、、

 訳が分からなくなりましょう、、

 からだを触っていましょう、、

 からだは、

 諸方面から来る、、

 ものごとを招んでいる、

 招んで、

 招ばれたものはからだの網、

 順にかかり、

 順に油で溶けていく、、

 

 どこからこの生命は来て、

 油を経て、

 身体に畳み込まれたのだ、、

 お前がする、

 その生命のうねり、

 生命の味はなんだ、、

 からだがする、

 はじまりの匂いは、なんだ、、

 どこから嗅がれる、、

 あなたが捨てようとしたり、

 あなたが閉じようとしたりする、

 その運動のなかに、

 何度も日が還ってくること、

 そのことに、

 いつも驚いていること・・・

<3033>「『立川吉笑真打トライアル〜古典モード』」

 7月18日。 博品館劇場にて。

 

 

 1∶二次会でのお酒

 2∶『十徳』

 3∶師匠方のスケジュール調整

 4∶『三人旅〜おしくら〜』

 5∶『妲妃のお百』

 

  2月の新宿単独以来の吉笑さんの会。

 

 着々と、かどうかは分からないのだが、話を聴いていると、

「ああ、真打に向けて本当に物事が動いて行ってるんだなあ」

と感じられ、楽しい。

 

 古典モードということで。演目はどれも古典。しかもマニアックなというか、うっすらしか筋が分からないものや、初めて聴く噺もあった。

 

 しかしまあ、真打に向かっている、そのドタバタ感がなんとも可笑しみがあるというか、初っ端の、二次会で、真打になるまでは禁酒するという、その戒を解いてお酒を飲んだのか否かのくだりは、前に行った回でも話されていて、このエピソード自体がしかし何度聞いても面白い古典のように既になっていておかしい。

 

 来年に向けて、師匠方のスケジュールを押えていくくだりは、あんまり詳しく言わないで、怒られるから、という吉笑さんのお願いもあり詳しくは言えないが、吉笑さんが緊張し、細心に細心の注意を払った結果、空回り的になっているのが、良い。

 

 また博品館劇場で公演をするとのことだったので、行けたらなあと思う。