<2791>「あなたの声の底のこわさ」

 静かに、水を向いている、、

 したに、

 からだが剥ける、、

 ただ、つもって、、

 かろやかなねをたててくずれる、、

 あたしは、

 あなたの声の底に、

 この堆積を見てきた目を感ずる、、

 あなたは、

 しずかな声で満たされる、

 この空間自体、、

 すぐに剥ける、

 なんでもないものとして、

 見ていた、、

 

 あなた、

 身体剥いて、、

 あたしは、

 声の並びに、、

 あまり気持ちのよくないものを感じ取る、、

 しかし、

 逃れる方へ、

 歩が動かない、、

 なににとらえられているか、分からない、

 ただ、

 底と、底が、

 あまりにも、まっすぐに接続されてしまい、、

 このふるえの外にいることが出来ないのだ、

 あなたは、そうして、こわいとき、、

 原イメージの浮かぶ人になる、、

 あ、

 あたしが探っているものは、

 こんな、

 人間の、

 こわいところにあったのかしら、、

 私はよく分からない、

 私はこのこわさの意味がよく分からない、

 気軽に入るべき場所ではない、

 しかしなぜか、

 まっすぐに求めているものがあるのだ、、

 

 あなたの、その、

 ひとつひとつの、、

 逸らす声、態度が、

 いちいち浸透してきて、、

 あたしは、軽蔑した、、

 こんなものも、受けられないのに、

 あなた、

 このなかへ、、

 入ってきたのだね、、

 どういうつもりなんだろうね、、

 かわいそうに、

 そんなに振るえて、、

 どこからはこんできたの、

 あなたのその声、、

 あたしのと混ぜてよ・・・

<2790>「水と気分の総量」

 あたしはまだその形、

 剥がれのなかにいて、、

 ここを見守る、、

 あたしはただこの外れのなかに、、

 あなたのからだを表している、

 ええ、

 まるいわ、

 音なども順に響いてきて、、

 ねえ、

 そのからだのむしられた、、

 あとのはだの残り、、

 そこから立つ湯気、

 あたしは短く言葉を継ぐ、、

 ああ、

 としか応えないあなた、、

 からだは遠い、

 

 どこを探るの、、

 あなたを存在の悲しみという、

 一点で見つめる仕事、、

 あたしはこの膜のなかに進み、

 少しほうけている、、

 なにもない場所をただ、

 だまって見つめている、、

 ああ、

 私の渦が来たのか、、

 さらわれていこうか、、

 生命の振幅、、

 あたしはその、

 決して自己を捨てるのではなく、

 軽やかに放ってもいいような、、

 これがどこまで飛翔するか、

 試してでもいるような、

 そういう気分のところへ来る、、

 あたしはしかしものすごい形相で、

 このはだの一点にかじりつくような、、

 そういう気分のなかへ、

 来たときに存在の、

 核の底の方の、、

 とてつもない駆動力を感じる、、

 

 あたしはものすごい水の総量と、

 交通量なのですから、

 そのときどきに見せるひとつの絵の姿が、、

 まったく異なっていることも普通の、

 それをまた折り畳むことにより、

 時刻は落ち着き、、

 私とあなたとで静かにかかわっていることの、

 意味から漏れて、、

 その場にただながれる、、

 あたしもあなたも、

 驚愕の目つきを、

 ほんの一瞬だけしてみせる、、

 あとはただ、それも日常、

 それも人間の、見ねばならぬところの事と、、

 しずかにまた折り畳む・・・

<2789>「ゴスペラーズ坂ツアー2023」

 東京国際フォーラムで見てきました。

 

 ゴスペラーズのライブを見に行ったのは初めてでしたが、いやあ、楽しい!

 満足感がすごかったですね。

 既にもう一回行きたくなってます。

 

 誰もが知る定番の曲を実際に聴けたことも嬉しかったですし、知らない曲が来ても、当たり前っちゃ当たり前ですが歌唱力がとてつもないので、ずっとうっとりとして聴いていられました。

 

 来年30周年になるそうで(初めて知りました)、もう大ベテランということもあり、ライブの曲とMCとの往復がスムーズで心地よく、無駄がない。エンタテインメントとプロフェッショナルの極まりを感じます。

 

 ゲストとして登場したボイスパーカッショングループのSARUKANIさんたちもすごかった。

 かつてアカペラのサークルに入っていたこともあり、ボイスパーカッションの巧みな先輩などもいて、ボイスパーカッション自体はとても身近なものだったのですが、いやはやここまで進化しているとは! 不勉強で知りませんでした。普通のビートなどならまだわかるのですが、明らかに機械音としか思えない音が口から出ていて、ちょっと衝撃を受けました。

 

 

 個人的な話になると、しばらくコロナ禍が続いていたこともあり、直近のライブ参加がいつだったのかがよく思い出せないような状態でしたが(2016年かそこらに星野源さんのライブに行ったのが最後でしょうか)、今回ゴスペラーズのライブを見て、私はこういう時間が好きだったこと、そして分かりやすくとても大きな力をもらえることを思い出しました。思い出せて良かった~!

 身体にしっかり電気が走った感じです。

 

 よくいろいろな情報をチェックして、またライブに定期的に行くようにしたいですね!

<2788>「立川吉笑真打計画10」

 

 行ってきました~。

 吉笑さんの落語を聴きに行くのはちょうど一年ぶりぐらいでしたね。

yutaro-sata.com

 

 最初は吉笑さんの『親子酒』。

 真打昇進が決まったということで、多分いろいろなところで古典もやられているのだとは思いましたが、私自身が吉笑さんの古典を聴くのが初めてでしたね。

 この日のシークレットゲストたる志らく師匠が後のフリートークのコーナーで、こういった古典の演目は、本当は歳を取ってからでなければ出来ないものなんだけれど、落語家である以上は早くやってみたくなる、でもそのままではとても出来ないからギャグをふんだんに織り交ぜながらやるんだ、というような話をされていましたが、吉笑さんの『親子酒』もまさにそういう試みという印象でした。

 あいだに『ぷるぷる』などの要素が挟まりながらの『親子酒』は、馬生師匠などで聴き慣れているものとはまた違った新鮮さがあり、面白かったです。

 

 次は志らく師匠の『火焔太鼓』。

 こちらも、志らく師匠がやっているのを初めて聴くことが出来ました。

 これもまた後のフリートーク内で、自分が若い頃にギャグをふんだんに交えながらものすごいスピード感で行って爆笑をかっさらっていたときのイメージと、今の自分とのズレが大きくて、イライライライラしながら演じているんだ、という話をされていましたが、その姿が、談志師匠が晩年になって、どうも違う違うと思いながらイライラしていた姿と重なるところがあり、ひとり謎の感動を覚えていました。

 

 最後は吉笑さんの『乙の中の甲』。

 この日は初めて尽くしで、この噺も初めて知ることが出来ました。

 吉笑さんお得意のイリュージョンが炸裂している作品ですね。古典だと『粗忽長屋』や、夢が絡む噺の数々を想起するような感じです。

 この話は割と新しいのでしょうか。吉笑さんの創作のなかでも、より設定の複雑さが増しているように思えます。

 これほど複雑だと聴衆を置いてけぼりにしてしまいやしないか、という心配もなんのその、後半に向かうにつれて笑いの量が多くなっていくのはさすがだなあという感じです。

 聴衆の側にしっかりと吉笑さんのスタイルが定着していること、また、噺のなかでの繰り返しの部分が、しつこさを感じさせず、むしろ笑いを増幅するためのステップとして機能しているのが見事だと思いました。

 

 また、今度は一年と間隔を空けずに吉笑さんの落語を聴きに行きたいものです。

<2787>「落下する、秘密を作る」

 私を落として、、

 ね、

 どうしてもこの静かな場所で、

 あたしを、

 しずかに落としてほしいの、、

 そうしたら、、

 からだのにおいもなにもない、、

 あたしは電気のようになる、、

 いつまでもいつまでも走る、

 うん、

 順番に、、

 そこから、また、

 私は、、

 存在するままにのびるよ、、

 ほら、

 液を拭いて、、

 

 何かこの絡みは遠い、、

 あたしはこれは誰、

 とひとり思っていた、、

 うもれるに違いない、

 いくつもの場所から、

 声を出してくるに違いがない、、

 いまからだに入ってくるに違いがない、

 、

 これは何、、

 これは誰、、

 まともな液がひたすらに流れる、、

 あたしはなかをのぞいている、、

 しだいに遠ざかる、、

 しだいにうつわのなかに、、

 からだが漏れてくる、、

 あたしは吸いたいのか、、

 口に含みながら、、

 これはのちのこと、

 どこの時間に含まれるのかと、、

 ひとりで考えていた、、

 あるまとまったにおい、

 あたしは真面目になる、、

 そんな真面目にならないで、

 と怯えながら、

 笑っている人の顔が映る、、

 

 あたしは裸足になり、、

 もう少し下の方へ存在し始める、、

 もう、

 交換ははじまっているのだ、、

 あなたのなかにある時間は、

 いくらか光って、

 いくらかにおっている、、

 あたしはそれをすべての皮膚に揃える、、

 またもうひとつの膜なのだ、、

 奥は遠ざかれ、

 秘密のない人、、

 なに、

 せっせと作ってしまっているじゃないか、

 そうではないか・・・

<2786>「圧倒と風」

 まったくなく、

 ほかの人々には当たり前にあるものに、

 圧倒されてしまうのだ、、

 しかし、

 圧倒されるところから、

 全く隔たって、、

 私の生活がある場所は、

 嘘みたいに綺麗な空気で、

 軽やかなのだ、

 確かなのは身体しかない、

 確かなのは風しかない、、

 私は、

 私にはまるで関係がない場所に立ち、

 風だけを受けている、、

 あたしもひとつの成分になる、、

 

 同じように、

 あたしは、あたしで、

 圧倒してしまうものを持っている、、

 周りの人が、

 言葉もなく、

 あきらかに引いている、、

 そのことが、

 静かな負い目になる、、

 私は少し黙る、、

 圧倒したあとの、

 空気が好きではない、、

 私が異常だということが浮き上がるだけだから、

 その道に長けていくことは、

 沢山の負い目を持つことだ、、

 だから吉本さんも耐えて、耐えてというのだろう、、

 

 私は、

 圧倒されたのを跳ね返そうとして、、

 地道に歩を進める時間が好きだ、、

 そしていつの間に、

 跳ね返そうとした、当初の意識すらなくなり、、

 ただ、

 風の中に出て、、

 この作業を黙々と延長していくことが好きだ、、

 身体の外ではなにものも圧倒されていない、

 私は黙って抱かれている、、

 私は、しかし、、

 圧倒されることを糧にするという、

 静かなずるさをたくわえた人間だ、、

 だから、、

 明らかに圧倒するものを持っているという事実を、

 ないものにしたがる、、

 しかしその自身の暴力性をも同時に承知しようよな、

 静かで、

 落ち着いていたらなにものも圧倒せない訳ではないぞ、

 そのうえで、

 それを承知の上で風の中に出たらいい、、

 全部がきかれている場所で、

 あなたは語ったらいい、、

 生命は恥ずかしいな、、

<2785>「すべて過去ほうけに、過去存在内外に」

 からだなんてひとつもしらない、

 みたこともない、、

 どこかをおさえているのね、

 あたしは、、

 これはなかなかの、

 からだのなかにうもれたということなの、、

 性として成り立ち得る、

 それがどうしても分からない、、

 わたしは淡々と、、

 この日のなかに近づく、

 からだはかたい、、

 あたしはなにをイメージする、、

 このふたつの意識のわれのなかで、、

 あなたは泳ぐ、、

 

 泳いだら、

 すべての記憶の皮が剥がれて、、

 あたしは零度に、、

 そこから膜をつくり、

 生まれる前へ来る、、

 ただ場所が、、

 いくらか日を経過する、、

 しらない線が、

 僅かにのびる、、

 僅かに声がここに届く、

 それは、

 招んでいる声ではない、

 いらだった声、

 うたがっている声だ、、

 あたしは線を引っ込める、、

 引っ込めた線はどこへ行きますか、、

 当然はらなかへ、

 内奥へ、、

 うん、

 からだの癖は、、

 あれも、これも、、

 すべてを内側の線へとかえていくものとしてある、、

 あたしはしずかに水を見つめる、、

 次々生まれては流れる、、

 この水を見ているのだ、、

 からだはらうか、、

 すべてとけてしまえばいい、、

 すべて過去ほうけに、

 過去存在内外に、、

 完全にまみれてしまえばいい、、

 

 からだからはじけて、、

 道理のない、

 存在の真透明な、、

 仕方の、内部へ、、

 あなたが軽やかに駆けて、、

 二重に生まれる、、

 二重にこの底をきくに及ぶ、、

 あたしのはたいたの、、

 水とともにこうしてはたいたの、、

 どうして拾う・・・