2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

<220>「無時」

ケチ、もう少しくれてもいいじゃない。ダメだ、もう、少しもやれないんだ。どうして、どうして・・・。進んで放棄したからか。飛び抜け、涙ぐむ山門の、からかさを通り、枯れる縁に、夜這い、気迷い。横顔を交わす只中の堆肥、蓄積。ひとたび巡り合いて、よ…

<219>「液体が外へ」

折角だからどこかに行かねば、その、行為ではなく、考え方自体に疲れるのだということに気がつくまでいくらか時間がかかった。ちょっとやそっと外に出ていく動きをするだけで、身体が参ってしまうはずもない。では、どうやって出るか。デロンと出ればいい。…

<218>「私の喉を通るまで」

何を表しているのだ。何が表されるかは、さして重要なことではない。表したことで何かが変化していくことの方が大事なんだ。表すとき、表すことを必要とするなかれ。表され、それであれ、あれそれ。大事な問題と、大事でない問題と、どちらであるのかが分か…

<217>「じねん時に出た」

やると後悔するぞ、やらないと後悔するぞ。さて、どっちに動いても全く同じだということが分かってしまったら・・・。どちらにせよ同じなら、やった方がいいだろ。いや、やらない方がいいだろ。それは、きっとどちらかにスッキリさを託しているのではないか…

<216>「隙間に、」

人は、意味がないということ、ただ生きているだけだということに耐えられないのだ、というようなことが言われたりするが、果たして本当にそうだろうか。意味がないということ(意味とかではないということ)、ただ生きているだけだということが何となく耐え…

<215>「なんだか当たり前に」

ただ在る、ということの否認は、自然の否定だ。それでいいんだ、ただ在るだけでいいんだと頑張ってみるまでもない、それだけのことだ。ただ在るだけだなんて・・・と軽蔑しようが、それだけのことであるというのは変わらない。作りを見ればいい。どこまで自…

<214>「誰が、」

私ばかりが決定していて良いのだろうか。こういう悩みはひとりで居るときには生まれまい(本当にそうか?)。グループの中に居るとき、ときには決定に積極的に関わり、ときにはちょっと引いたところで他者の決定を尊重し、とバランスを図るのが良いのだろう…

<213>「もう決まりました」

いつ決まるのか。流れていく中で、気がついたらいつの間にかその形になっている、というような仕方で決まる。そうすると、掛かっている時間的にはあっという間ではないかもしれないが、視覚的には、目を離した隙にいつの間に!ということになる。 じっくり考…

<212>「あいつはああいう奴さ」

不安と好奇心とから、この人は何者なのか、という情報を求める、集める。しかし出身や職業などが分かっても、この人が何者であるかは本当には分からない。しかしまた、その人そのものに迫っていける分かりやすい道もない。例えば親しい友達などを見て、一体…

<211>「よく会いますね」

よっぽど嫌だとか、よっぽど凶暴だとかでない限り、数か月、数年と間が空いていれば、大概はニコニコ会える。毎日々々会っていれば、大概の場合は嫌になる、クサクサする。何でか分からないけど嫌だと言うとき、頻繁に会っているだけなのではないか。頻繁に…

<210>「無年齢者よ、」

根本条件を承認出来ない人よ、無年齢者よ。先送りが嘘だと気づいて何になるというのだろうか。無論、何にもならないさ。幸い、お前は体調を整えることでどうにかしているんだろう。疑う、というのは、そのものが一見確からしく見えていなければ出来ないこと…

<209>「同じ時間」

眠さのあまり、とろやかに死んでしまった。よく触る左手よ。ゴツゴツと、いくらか軽やかになっている夢の身体の、昔はとても重いこと重いこと。懐かしさが現れ出たとは思えない。いつも同じ範囲に収まっているからだ。だから懐かしさがいつでもない。しかし…

<208>「生きていく顔」

生き生きとしているのと、憂鬱そうにしているのと、どちらも同じではないか。それは、あなたが元気な人でも、憂鬱な人でも、どちらでも構わないんだよ、という話ではない。どちら、というような区別もなく、同じだ(大きく括った訳でもない)。同じであるこ…

<207>「言葉はなに」

当たり前かどうか分からないが、伝わってほしいと思うこと、その欲望と、実際に伝わってしまうことはまるで違うこと、別のことなのだという気がしている。 「ほら、お前の望んだ通りじゃねえか」 と言われても、何かが違う、しかも決定的に違ってしまってい…

<206>「発話、発話」

上から脅したり、下から脅したり、媚びたりそういうコミュニケーションの真ん中に置かれるのはうんざりなんだ。豹変じゃない。パワーバランスの調整を企図していることに変わりはない。そんなこと別にいいのじゃないか。パワーなんてことを特に考えなければ…

<205>「いろくろ」

地黒、いろ、くろ。渡り、誰それ。肩慣らし、またらし、また減らし、みたらし。ふるふるふる夢の、地黒、いろ、くろ。高等な建築、何です? 嘘ごろ見頃その魂の、ふていふていと、ときおり見ては、それのまぐわひ、ひたらむき、抜き出し、ところでの香りの、…

<204>「いつから始まって、いつが終わりで」

結果的に徒労であったということが明らかになり、疲れてしまうのは分かるが、しかし徒労であるということ(また徒労とかではないということ)を承知していると、疲れる前から疲れている。すると結局いつまでも走れるのだが、例えばそれは食っていることに気…

<203>「ひっこめて、うん、やっぱりひっこめて」

例えば、金をかけずに揃えたいだけ本を揃えられたらいいな、と思う。しかし、その欲望を満たす可能性のあるような抽選が目の前に現れたとき、何故だか、 「参加しない方がいいな」 と思ってしまう(うっかり当たりでもしたら・・・)。別に、自分より困って…

<202>「圧倒されたままに動く手」

受け容れる受け容れないに関係なく動けてしまう状態にいつもある、ということは、きっと悩みがあるというより、圧倒されて動けなくなってしまう瞬間があるだけだと考えた方がより妥当だという気がする。圧倒されている、あるいは圧倒されるだろうことが分か…

<201>「関係のないところを切って捨てること」

何かの条件を挙げる。それも、まだ自分がやっていないものを。そうして、一度でもやってしまった人達、それを経過してきた人達を、 「もう駄目だ」 と断罪する。ここには嫌な快楽が伴う。戻りようのない人達を、戻れないのなら駄目だよと言ってしまって、自…

<200>「静かに歩を入れる時間のことを」

どうしようもないだろう。どうして救われなければいけないのだ。肯定と否定を頼りにしなければいけないというところに不自由がある。完全に切り離されることを望んでいる訳でもないのだろうが、否定的な場は勿論のこと、肯定的な場にだって長くは居られない…

<199>「色は私の静けさのなかで眠る」

寝室は暗い方が好い。ようく見えない、黄色や白で不愉快だ。落ち着くことを考えたい。目で見る必要の物事、読み、書き、笑い・・・。意識の代表、それが明かりだ。明るいっぱなしでストレスだ。意図的に休め、痒みの発露。ぼうっとしてくるまでに掻くことし…

<198>「太陽の無関心」

施しを受けても特に何も言わず礼もせず、施した方もそれを当たり前と思っている・・・。極端だが、ここまで行かなければならない、というより、ここまで極端でなければならない。おかしなことに見えるかもしれないが、自然がまさに自然に行うような施しに近…

<197>「私には穴があいている」

誤解の満艦飾という言葉を見て、考えていた。これの解釈ではないのだが、さて、人はその人のやり方で誰かを全面的に掴むし、その掴み方に間違いというのはあり得ない、何故ならひとりひとりが世界(よく小宇宙などとも言われる)なのだから、ということを何…

<196>「価値を見出していないところに・・・」

今現在使ってもいないし、今後使う見込みのないものでも、そういった事情を承知して代わりに使っている人を見ると、なんとなく嫌で、また嫌とまではいかなくてもあまりいい気持ちがしなかったりする、その人が勝手にどこかに持っていったり奪ったりする訳で…

<195>「枚数が重なり」

一個の人間に対して、出来事が多すぎやしないか。こんな量をとてもひとりで経過してきたとは思えない。矛盾するようだが、自分より若い人に向かって、知識とか判断力ではないところで漠然と何か、 「分かっていない」 と感じるとすれば、それは、自分より若…

<194>「同じ点の揺れを」

同じ物事を明るい方向と暗い方向とから眺めることの出来るのは、眼の機能でもあるのだろうが、実際に物事がそのふたつをそもそもの初めから持ってしまっているということもあるのだろう。それは生と死というものがしっかりとくくりつけられているからだと思…

<193>「揺れたままの人」

動揺しないように、みたいな、無理ではないけれども頑なな構えを取らないように。動揺させられると、止まらなければいけない、引っ込まなければいけないと思うから、動揺してはいけないと思いたがるのだが、実際動揺してみれば分かるように、そのままで止ま…

<192>「知らない会場で」

贈与や恩恵のことを論じるにあたって、先日先々日辺りから触れている、いわゆる贈与の不愉快な面について詰めていないものを見ると、どうしても不満を覚えてしまう。それでは不十分だという気がするのだ。また、珍しく触れられていると思ったら、それを不快…

<191>「恩の困難」

恩を意図的に施すことの不自然さ(故にやるべきではないという話ではない)、難しさを考えると、例えば托鉢などの修行は、施す側の困難の方が大きいように感じる。施すことも修行だ。同意した訳ではない招かれは、施す側がうんともすんとも言わず、施してい…