<1872>「何かを思い出すためには」

 ただもう現在の、

 訳の分からない一体と、盛り上がりのなかで、、

 私は過ごし、、

 そこに物語が組み込まれて、、

 渦を巻いているのだと思っています、、

 ただもう、、

 その現在も解けて、、

 後に来ると、

 ひとつひとつが、私の記憶でしかない、

 ひとつひとつ、私の体験したことでしかない、、

 あんなにひとりの空間にいたものなのかと、

 今さらながらに思われる、、

 ひとりの体験だった、、

 

 もし当たり前にかつての場所が取り壊されるとして、、

 じゃあいちおう皆で見ておこうか、

 と思う、

 ナニカヲオモイダスタメニハジッサイニソノバヘイカナケレバダメデスヨ

 という、ひとつの声を思い出す、、

 同じ現象の中にいて、、

 全く同じひとつのかたまりになっていたような錯覚に、

 かえったりまたほぐれたりしつつ、、

 あなたはまた、、

 たいしたことではないからとそのときべつにまわりの人には話さずにおいた話をここへひとつひろげてください、、

 なにかその些細なことのなかに、

 あなたという人間がいきなり分かってしまうものが含まれているのかもしれないですね、、

 ナニカヲオモイダスタメニハジッサイニソノバヘイカナケレバダメデスヨ

 例えば、本を読んでいて、

 同じ人のものを続けていくらか読んでいると、、

 どこという訳でもなく、、

 なにか短いところで大切な一文を見つけたという訳でもなく、、

 この人が、私のなかに溜まって、、

 あ、なんだ、すごくこの人のことが分かるぞ、

 という気持ちになることがありませんか、、

 そうなると、その後、、

 書かれている内容が全て分かる訳ではなくとも、、

 この人の言っていること、綴っていることの、

 色合いや温度というのは全て分かるような気がしますね、、

 人と人とが付き合うというのはそういうことでしょうか、、

 

 人生の中で、

 良い相性の人に出会うと、、

 その最初が嬉しいもので、、

 いつもつるんで、

 わいわいやる、それも素晴らしいですが、、

 付き合っていくうちに、、

 だんだん分かっている部分と新しく出てくる分からない部分というのが溜まっていって、

 言っていること全て分かるわけじゃないけれども、

 この人の感じというものはそっくり掴めてしまう、、

 関係というのはそういうものでしょうか、

 あんまり静かで不思議な道を遠くまで来ていると思えます、、