どこまで正直に話すのが誠実か

 普段のふざけた会話の中では、くだらない嘘をつくことも出来るのですが、こと真面目な場面、緊迫した場面では嘘をつくことが出来ないんですね。変に真面目なのかもしれませんが、そういうときに、

「あ、これは本心を話さない方が良いな」

と感覚的に思ったら、嘘がつけないので、黙るか、適当に愛想笑いをするかしてごまかしてしまうんです。後になって、果たして黙ったのは、愛想笑いをして流したのは、誠実な態度であったのか否か、と考え込んでしまいます。

 本当は、「優しい嘘」のようなものの一つでもつければ良いのですが、『いや、それって嘘じゃん?』の中でも書いたように、自分が、大事な局面で嘘を言っているのが、自分自身で気になってしまってダメなのです。

 だからと言って、例えばの話ですが、AさんとBさんという二人の女性が居たとして、私は二人のどちらとも親密であるという状況があった場合に、ひょんなことから、Aさんと私が付き合う寸前みたいな所まで行ったとしたときに、Aさんは、私がBさんとも親密であるという事実を知っていた上で、

「Bさんのことどう思ってるの?」

と聞いてきたときに、私が、

「Bさんも、Aさんと同じくらい好きだ」

と正直に答えたとして、果たしてその態度が誠実と言えるのかどうかというのは非常に怪しいところがあります(倫理的とは言えるかもしれませんが・・・)。この場合だったら、黙って、愛想笑いをして流している方が、よほど誠実なようにも思えます・・・。

 また、これも例ですが(実例に近いかもしれません 笑)、親の方で、ちょっと真剣に、私と腹を割って思っていることを話し合おうと持ちかけてきた場合に、私の方でその言葉を真に受けて、

「子を産むということ自体、ものすごく罪深いことだ」

「外面に対しての私しか見ていない」

「ふざけるな」

といったことを正直にぶつけるのが果たして誠実かどうかは、よく分からないというのが正直なところです。ですからいつも、真剣に話し合うような場では、「本音のようなこと」を多少装って話しているというような状態です(「有難いとは思っているけれど、俺は俺で大変なんだ。」というような、本当に思ってるんだか、思っていないんだか分からない、微妙なことを話します)。

 このように、例を仮定しながら、そこに自分の考えも混ぜながら、考を進めてみると、「誠実」とは一体、どこに存在するのかが良く分からなくなってしまいました。馬鹿正直に話せば良いというものでもないし、黙れば良いというものでもないし、かといって上手い具合に装ったら、もうそれは「誠実」とは程遠いような気もするし・・・、といった調子です。ひょっとすると、

「どこまで正直に話せば誠実か」

というのに、はっきりとした答え・境界は無いのかもしれません。