<57>「間違いに徹する」

 ひとりじゃ生きて行けないと言ってみたり、結局はひとりじゃないかと言ってみたり、苦労が云々恩が云々、あれの経験、この経験。愛が必要だ、意味だ無意味だ、やれ繋がり・・・。

 「それらはどれもが場面々々においては確かに真実で、矛盾するようだがちゃんと同じ世界の中に両立する」

と言ってみることは出来るし、強ち間違いでもないのだろうが、私はむしろ、

「言葉にすればどうやっても間違う」

と言いたい。つまり各々が体験したことは嘘ではないのだし、部分的には確かなものを含んでいるのだが、その経験は、確実でありながら言語にするにはあまりに多様で曖昧なので、表現するためにひとつの言葉を借りれば、必ず間違うようにどうしても出来ていると思うのだ。

 つまり、語る、言葉にする、ということは、間違いから出発して間違いに終わることだと言っても良いだろう。だから、

「こうなんですよ」

と言われた後に、

「こうじゃないんですよ」

と続いても別に驚くことはない。そういう、どうやっても間違いに終始するものを使用する上では、間違いであるということを絶えず示しつつ、間違いに徹するのが誠実な態度であると思う。