人間が何かを探っている過程で、
実は人より、
人間が上手くなってしまった部分が、
いくらもあるのかもしれない、
その過剰適応は、
時々気味の悪さとして出現するのかもしれない、
まあそれはいい、
毒として出た部分は、
またどう混ぜていくのかを考える、、
人と話すときに、
質問が前提となっていると、
少しこわい感じがするのかもしれませんね、
というのは、
受ける側になると少し分かる、、
まずは、というより、
主に感情の同期を心掛ける、、
あんなことがあって、大変だったとか、
うれしいとか、
つらいとか楽しかったとか、、
こんなに気持ちいい日で、とか、
そういうことを中心に、
私は別に危険にさらされて仕事をしている訳ではありませんが、
多少
あ、
これは下手したら命が危ないかも、
という場面に遭遇しながらになることはある、
そういう現場は、
ひとたび緊張がほどけると、
みんなよくしゃべる、
みんなよく笑う、
あたしもよくしゃべり笑う、
これも感情の同期、その推移で、
こわいこわい、大丈夫かなあ、
ああこわかったね、
何事もなくて、
みんな無事でよかったね、
という安心した笑いだ、、
危険と隣り合わせだと分かっていても、
くせになってそういう場所へ何度も戻っていってしまう、
そういう人の気持ちが分かる気がした、
日常のなかで感情を少し、
他人だからみんなぴったりとはいかないけれど、
感情を少し合わせてみる、、
それが、
質問するよりも自然なコミュニケーションなのかもしれない、、
あたしもあなたも、
シンプルに肉体なのだからね、、
私ひとりでできることは多くないけれど、、
ある方向性を持とう、
そちらへもってチームで動けば、、
何かは起こせますよ、と、
伝える立場なのではないか、もう、
現実は他人事ではなくなった・・・