2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

潔く謝れない人は嫌い

私が一番腹が立つこと、許せないと思うことは何かということを考えたとき、やはり、 「自分に非があるにもかかわらず、素直に謝らない」 という態度だ、というところに落ち着きました。 それはひどいな、あんまりだろう、ということを指摘したときに、何故潔…

怠惰な人を見て、怒るのは何故?

例えば、怠惰な心を自分の中に認めたときに、 「怠けてばかりいちゃダメだ」 と、自分を奮い立たせるということならば、よく分かるのですが、自分とは何の関係もない怠惰な他人を掴まえて、何の正義感の為かは分かりませんが、 「怠けていたらダメだろ!」 …

始まりはいつもボンヤリとしていて・・・

一昨日に、 「赤ん坊は、一生涯のうちで一番大きな困難を経たうえで、無邪気に笑っている」 ということを書きましたが、残念ながら、 「俺はそういう大変な困難を、赤ん坊の時に超えてきたんだ」 といったようなことは全く覚えていないというのが、大方の人…

「好かれて、悪い気がする人はいない」という嘘

その後実際に関係を深めていくかどうか、ということは別として、とにかく、 「好きと言われて、悪い気がする人なんかいない」 ということが言われたりします。 確かに、実際に悪い気がしない人も大勢いるのでしょうし、他の人がどういうことを考えているかは…

赤ん坊は、何も知らないから無邪気に笑っている訳ではない・・・のか?

私はいままで、 「赤ん坊は、世の中の残酷な部分、汚い部分を、まだ知らないから、あんなにも無邪気に笑っていられるのだ。そうすると成長するにつれ、無邪気に笑っていくことも減っていくのかなあ。切ないなあ、。」 などと、赤ん坊が無邪気に笑うことにつ…

私は助けてもらってないのに・・・

人間が快適な暮らしをしていくために、少しの間でも長く人類が生存していくためには、お互いに助け合い、 「困った時はお互い様」 の精神でやっていく(共同体を動かしていく)のが、まず間違いなくベストだと思うんです。 しかし何故だか、そちらの方向へ真…

一瞬で過ぎた全く無駄な、しかし楽しかった時間は、後々長さを取り戻す

今、ミヒャエル・エンデという人が書いた名著『モモ』を読んでいて、まだ途中なのですが、良い意味でのショックを受ける言葉が満載なので、ここでもひとつ紹介したいと思います。 『時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものな…

価値判断を、適応欲求が上回る怖さ~それを避けるには~

世の中で当たり前とされていること、当たり前ではないとされていることとは別に、各々人間は、 「これはおかしいな」 「これは良いな」 というような、自らの価値判断基準を持っていると思います。そして、自らが望むように生きていくためには、自らの価値判…

分かりやすく喋るというのは、分かりにくさに立ち返るということ

ある職業に長いこと従事していると、語り口が次第に専門的になっていき、一般の人に自らの職業上のことを説明するときになると、 「何を言っているか分からない。もっと分かりやすく説明してくれ」 などと言われてしまうことがよくあると思います。 そこで、…

頭の中で遊べれば、それに越したことはないのでは

昨日、NHKのEテレで、『SWITCHインタビュー 達人達』という対談番組がやっていて、それを見ていたのですが、一人は千日回峰行を成し遂げたお坊さんで、もう一人は、探検家の方でした。 その中で、お二方とも、極限状態に行かなければ見えてこないものがある…

傍から、第三者として、好きでいたい

誰でも著名になってくれば、少なからず「ファン」というものがついてきます。そして私も、様々な著名人の一ファンであったりする訳ですが、いくらファンであったとしても、その著名人に、 「ファンは俺の家族だ」 であるとか、 「ファンは皆仲間だ」 という…

「それは私にも分からない」と言ってくれた方が信用できる

スポーツ中継を見ていると、実況のアナウンサーが解説者に向かって、 「それは答えられないだろ」 と思えるような質問を投げかけていることがあります。そういうとき、解説者は、 「それは私にも分かりません」 とはっきり答えたら良いものを、真面目さ故か…

翻って自分を見てみれば、意外に平然と生きている

九死に一生を得たと言えるような体験を、まるでそれが何でもなかったかのように平然と話す人を見て、 「この人はこんな大変な経験をしているのに、何でこんなにも穏やかで、しかもまるで平気そうに生きているんだ」 という衝撃を覚えるようなことは誰にでも…

暗い事件を報道することにはどれだけの意義があるのか

テレビや新聞などのメディアに触れていれば、必ずと言って良いほど、暗い事件の話題に目を通すことになります。特に、殺人事件などになると、直接関係の無い身分の私であっても、それ相応のダメージを受けるような事になります。 そういった殺人事件の中でも…

それならば、所有しなくとも愛があると言っちゃって良いのでは・・・?

昨日の続きのような話になりますが、昨日は、「カップル」や「夫婦」という所有形式こそ正しい愛の形だ、とは必ずしも言えないんじゃないかということを思った上で、では一体全体「愛」とは何なのかは結局、皆分からないんじゃないかという結論に至った訳で…

「愛が分からない」か、「愛が分かったと思い込んでいる」かのどちらかでしかないのでは・・・

ただなんとなく自由に、制限を設けずに書いているつもりでも、自ずと書きたいことというのはある程度決まってくるもので、自分が書いたものを見返してみると、やはり「結婚」や「種の保存」など、自分が一番、世間一般の感覚からは離れているなあと思われる…

今は我慢しながらも、不満は残しておく

我慢ならないけれども、今は我慢するより仕方のないことはいくらもあると思います。例えば、私なんかは、 『別に自分で選んだ訳でもないのに、この世界に「子ども」として誕生させられ、弱いポジションに据え置かれた上に、助けてもらっているんだから親には…

誠実であり続けることの大変さ

以前、『どこまで正直に話すのが誠実か』というものを書きました。それに加えて、果たして、誠実な態度を取り続けることは自分にとって、または他人にとって良い事なのかどうかもまた、よく分からなくなってしまいました。 分からなくなってしまった、とは言…

「~がない」ときの興奮がもっと大きければいいのに

身体が元気だということは素晴らしい事であると同時に、あまりその有難さを実感できないものでもあります。要するに、 「~がない」 ということの喜び、興奮といったものは、あまり大したことがないんですね。 例えば、身体が、痒くない・痛くない・寒くない…

「失敗するかどうか」は、第一の関心事項ではないはず

学校の試験でもスポーツでも、新たに始めたいと思っていることでも何でも良いのですが、それらに取り組むにあたって思う、 「それをやって失敗しないかどうか」 というような疑問は、大きな関心事の一つとして、間違いなく自分の中に浮かび上がってくるだろ…

ドッジボールが上手い人は、皆にドッジボールをやらせたい

日頃から疑問に思っていて、だからといって、別に私が何か改善案を打ち出せるわけではないのですが、 「おかしいなあ・・・」 という思いだけは忘れないようにしたいと思っていることがあります。 それは何かというと、 「日本は世界の中でも大分豊かな国の…

子は強い それ故、加減を知らなければならない~反抗期の重要性~

「子どもというのは親の庇護下にある弱い存在で、立場的にも物凄く弱い位置に立たされている」 というのは、肉体的・経済的側面からみれば、確かにその通りと言えるかもしれません。しかし、肉体的要素や経済的要素など、外に映るものだけを見ると、一方的に…

いくら人が減っていこうが、婚姻は強制するべきではない

人口が減少することにより、高齢者を支える上で諸々の困難が出てきたり、国家の規模が縮小してしまったり等々、いくつかの問題が出てくることは私も多少なりとは分かったつもりでいます。 しかし、今後どんどん人口が減り続いていく一方であったとしても、だ…

「辛い境遇に在ったけれども、それが逆に良かった」と言って良いのは本人だけ

ある道で成功した人などが、 「今までの人生、辛い事、経験等々色々ありましたが、今となってはそれも良い思い出ですし、逆に、そういう境遇に在ったことがバネとなって、人一倍頑張れました」 というようなことを言っている場面をたまに目にします。 それは…

「幽霊がいる」というときの「いる」

「幽霊は存在します。だって実際に見たんですから」 と言う人がいます。反対に、 「幽霊なんて絶対に存在しない」 と言う人もいます。私はどちらかというと後者の考え方に近く、 「もしいるとしても、それは実際に存在するということではなくて、見たという…

考えないのは別に構わないが、「異常」の判定を何の疑問も持たずに受け容れているのは怖い

以前に、『数の多さを、「正しさ」の代わりにしても良いのだろうか』や、『「とりあえず」という認識』の中で書いたことに繋がりますが、そもそも、突き詰めていくと、絶対的に「正しい」であるとか「正常だ」というものは存在せず(これは『「かのように」…

「結婚しない自由を認めたくとも、感情がついてこない」という気持ちも分かるには分かる

昨日、結婚しない自由がもっと普通に社会で受け容れられるようになってくれたら、ということを書きましたが、一方で、 「認めたいのはやまやまだけど、感情がついてこないよ・・・」 と言いたくなる人の気持ちも、少しは分かります。何でかというと、結婚し…

結婚しないという自由は、いまだ完全な自由ではないのかもしれない

私は、自らの両親の関係を目の当たりにしていること、子を産むということの残酷さを考えていることなどから、結婚については良いイメージを持っておらず、 「絶対に一人で死ぬ」 と半ば意固地になっているところがあります。 幸いなことに、世の中の方でも、…

「かのように」という鷗外の姿勢~加藤周一さんの見解に対する反論~

森鷗外が書いた短編に、『かのように』という作品があります。 子爵家の息子である主人公の秀麿は、国史を一生の仕事として研究するつもりでいましたが、どうも、神話というものを歴史とは別にしておかなければならない必要に迫られて、すぐには研究に手をつ…

あなたには「大丈夫」と言う資格は無い

以前に、『欲望にはキリがないと知ってはいても・・・』で、ジェットコースターなどの絶叫系アトラクションが苦手だということを書きましたが、当然、他のそういった類のものも全部嫌いでして、実際にやってみたことは無いのですが、バンジージャンプやスカ…