九死に一生を得たと言えるような体験を、まるでそれが何でもなかったかのように平然と話す人を見て、
「この人はこんな大変な経験をしているのに、何でこんなにも穏やかで、しかもまるで平気そうに生きているんだ」
という衝撃を覚えるようなことは誰にでもあるかとは思います。
しかし驚いたものの、よくよく考えてみると、そういう体験を経たうえで平然と生きているように見える人は、常人に比べて特別精神力が強いという訳では必ずしもないんじゃないかと最近思うようになりました(勿論、特別精神力が強い人も、なかにはいるでしょう)。
それは、翻って自分自身を見てみれば分かることなのですが、九死に一生と言えるほどの経験がなかったとしても、今までに、個人的な恐怖体験、辛かったこと、もう立ち直れないと思ったこと等々、沢山経験しているはずで、それを実際に体験している瞬間々々は物凄く大変だったはずなのに、時の経過というのは偉大なもので、それらの体験も今では、
「イヤだったなあ・・・」
という記憶とともに思い出すことはあっても、生きていくのに支障をきたすほどのダメージは既に全く残っておらず、意外に平然と生きていけているのです。むしろ、
「実は過去にこんな恐怖体験があってさあ・・・」
などと言って他人に話したくなるぐらいのものですから、生命力というのはなかなかにしぶといものです。
ですから、九死に一生を得たような体験をした人も例外なく、その瞬間は本当に死ぬほど怖い思いをしたのだけれども、時間が経過してしまうと慣れてしまって、あんなに怖がっていたのが嘘のことのように、平然と生きている自分がいることに驚き、やがてその驚きも次第に醒めていき、人に話すときにあっては、まるで何事もなかったかのような語り口になっているのだと思います。
しかしその話を聞いている側は、体験者が既に自分で醒めていることとは対照的に、話を聞いたその瞬間から、擬似体験、追体験が起こりますから、話の割に話者が醒めていることに凄く驚いてしまうんですね。このラグは何だか面白いです。