ただなんとなく自由に、制限を設けずに書いているつもりでも、自ずと書きたいことというのはある程度決まってくるもので、自分が書いたものを見返してみると、やはり「結婚」や「種の保存」など、自分が一番、世間一般の感覚からは離れているなあと思われるものに書くものが集中してきます。
何故かというのはある程度ハッキリしていて、それというのは、私は本当に「愛」であるとか、「愛する」といったことが一体何なのか良く分からない為で、仕方なくいろいろと考えざるを得ないからです。
どの程度の思い、どの質の感情、どういったふるまいや行為が「愛」とされるのかが全く分かりませんし、そもそも、世の中の方で「カップル」や「夫婦」といったような、「所有し所有され」の関係性が「愛」の正当な形だとされているという事実も、私にとっては、なかなかに受け容れがたいものなのです。
他者の自由をお互いに縛り合うことが本当に正当な「愛」の形なんでしょうか。相手を自分のモノとして扱うことが「愛」なのでしょうか。そういった、所有に拠る愛の表し方こそ正当だという考えが、世の中で当たり前になっていることには、個人的には違和感しかありません。
「カップル」や「夫婦」という所有の形式こそ「真の愛」であると考え、それについて疑問を抱かない人は、ひょっとすると「愛」が一体なんなのかということが分かっている訳ではなくて、所有の形式こそ「愛」だと、ただ思い込んでいるだけなのではないでしょうか。もしそうじゃないと言うならば、「所有し所有され」の関係性こそ「真の愛」であるということを、納得できるように説明できるでしょうか。
もし、「カップル」や「夫婦」という形こそ正当な愛だ、という人達が、愛について理解している訳ではなく、ただそれが愛なんだと思い込んでいるだけであったとしたら、
「一体全体、愛って何なんだ・・・」
という問題にぶち当たっているのは、私だけでは無いような気がしてきました。というより、全ての人がこの問題に対して答えを出せないんじゃないでしょうか。
「愛って何だ・・・」
と考える私も、
「所有こそ愛だ」
ということに疑いを持たない人達も、結局「愛」が何かよく分かっていないんじゃないかと思います。
「そんな細かい屁理屈言ってないで、愛とは何かの正解がないなら、周りと同じようにやってみればいいじゃないか」
と言われるかもしれませんが、私は、よく分かっていないのに、皆がやっているからという理由で、他人を自分のモノとして所有するのは嫌なのです。