私は助けてもらってないのに・・・

 人間が快適な暮らしをしていくために、少しの間でも長く人類が生存していくためには、お互いに助け合い、

「困った時はお互い様」

の精神でやっていく(共同体を動かしていく)のが、まず間違いなくベストだと思うんです。

 しかし何故だか、そちらの方向へ真っすぐに、世の中は進んでいない。むしろ「甘え」を除こうとしている。そして私自身も、

「甘えるな」

とは露ほども思わないまでも、助けてもらっている人を目にして、

「そんなに助けてもらって良いのかな」

などと、批判じみた目で眺めてしまうことが、正直何度かあるのです。

 どうしてこういうことを思ってしまうのか。おそらく私の気持ちの根底には、

「あなたばっかりズルい。私は助けてもらってないのに・・・。」

という気持ちがあるのだと思います。私は、そこまで助けてもらうことを我慢しているのに、という気持ちが確かにあるのです(別に、誰に言われた訳でもなく、勝手に我慢しているだけなのですが)。

 そりゃ、お互いに助け合う社会の方が、自分にとっても他人にとっても良いに決まっていることは頭では分かっているのですが、

「助けてもらうのって何だかズルい」

という勘違いが、自分で自分を縛りつけていて、一方で堂々と、

「助けてください」

と言っている人を見かけると、自分が勘違いで自分を縛りつけていることも忘れて、

「私は我慢しているのに・・・」

と思ってしまうんです。

 これと全く同じとは言いませんが、世の中が、誰もそんなこと望んでいないのに、「甘え」に対して不寛容になり、お互いに厳しく監視し合い、助け合っている人々を非難する方向に向かっていくのは、きっと、

「ズルい」

という気持ちが関係しているのではないかと思っています。

 しかしよくよく考えて分かるのは、

「助けてくれ」

と言った人がいて、

「よし助けてやる」

と応えた人がいる、という事実は私には何の関係もないし(つまり私の利害とは何の関係もない)、そうするとそもそも、そういうことが世の中で起こっていることは、

「ズルくもなんともない」

のだということです。むしろ、他人事ながら、人間の良心が垣間見れて、喜ばしいぐらいのものです。

 それに、我慢していると思っているけれど、本当は我慢しているんじゃなくて、

「助けてください」

と頭を下げる勇気が自分には無いだけなのです。助けてもらうのを我慢しているのに、と言ったって、それは一体誰の為に我慢しているのでしょうか、という話です。