あたしが隠れていた、
その、呼吸の中に、、
それぞれの解法を委ねて、
今に来れば、
今に来れば、、
私も、それ以上の呼気は知らなくなる、、
その長い言葉の道行きの数々は知らなくなる、
どこで何がふかれて、
どこから何がきこえはじめるのか、
誰と誰、
今にほうけて、
どれも、どれも、知るあてがない、
これでもかというほど行き来していた道があるでしょう、
なに、通学路など、
そう、
これでもかというほど行き来して、
私は永遠にここを通うんじゃないか、と思うような、
しかし突然、
行かなくなる、行き来しなくなるのがとても当たり前なことのように、
用がなくなれば、ぱたりと通らなくなる、
また、その最後の日というのもなんとなく分かるね、
そうですわね、
でも、その最後の日に私は何の感慨も持っていないように思える、
ふん、ふん、
それで、この行き来には、何もない、
私にとっては全くの零であったのではないか、と思われてくるけれども、
それからしばらく経つと、
もうこれでもかというほど行き来してきた道は、
自分の身体になってしまっている、ことが分かる、
身体になったものに対しては、
別れるとか、最後とか、
そんな関係はとりようはないやね、
繰り返し歩くということの途方もなさ、なのか、
なにか、だからまた行って、もう一度歩くとか歩かないとか、
そんなことは大した違いではない、、
(友人の良さはどこかと訊かれて)
うん、それはね、もう、世界内の人であるということに尽きるんだ、
自足している、安定した人、、
そういう人というのは会うと安心するよね、、
むろん、私も世界内の人である、と思うんだけど、
気分がそこから剥がれようとする、というか、、
最初から接着が上手く行っていないような気がするんだ、
きっと、この人は、接着とか剥がれるとかいう観念とも無縁だと思う、
そういう人が友達としていると、安心する、、
やせていく身体に、
物が多い、、
それだけのことかもしれないが、
あなたは往復を繰り返して、皆のところで、また身体になった、