ああお前さんとこの、
その、
現実は生きるに値しないという、
壊し方はどこから来た、
それは、
両親から来たのではない、
私が荒れ吹く、
内界から掬い取った、
その色合いがその言葉だった、、
身体は、
身体で現実で、、
それを積み重ねていくという話は容易に受ける、、
ねえ、
現実を、
名前を、
社会を捨てる人たちの生き方は、
なぜ皆鍛錬的なのでしょうね、
だらだらしたり、
一日を棒に振ったり、というのは、
現実を信頼していないと出来ないことなのかもしれませんね、
そういう意味で私は現実と上手く折り合っていない、、
トレーニングをしていないと、
つかまる先がどこにもないような不安を覚える、、
私はどこかへ行くのではない、
ずっとここにいるのだ、、
ずっとここにいるということを、
観念する、、
私を、
どこかへ放ろうと思っても、
放る先はない、、
自分にしか興味がない、
というのは変な言いではないですか、、
私は自分にも興味がありません、
知ってほしいという気持ちもない、、
ただ、
生き物が、そうやって、
自分にも、
他人にも興味がないまま、
何かをやっている、
人生などというものに何にも思いを入れることができないまま、
何かを積み上げることには喜びを感じることもある、
このいびつな運動は何ですか、
一体、
何ですか、これは、
という興味なら、
それは無限にあります、、
それは私の小さい頃からの疑問、
人生は二度と繰り返したくないことの連続なのに、
身体はおもしろく、
トレーニングはよろこびであるのはなぜか、、
分からない、
私が人と話をしていて、
さびしくなるのも、
当たり前に人生を構築していく話から、
瞬時にこぼれてしまうからなのです・・・