<3062>「自分にも興味がありませんのに」

 ああお前さんとこの、

 その、

 現実は生きるに値しないという、

 壊し方はどこから来た、

 それは、

 両親から来たのではない、

 私が荒れ吹く、

 内界から掬い取った、

 その色合いがその言葉だった、、

 

 身体は、

 身体で現実で、、

 それを積み重ねていくという話は容易に受ける、、

 ねえ、

 現実を、

 名前を、

 社会を捨てる人たちの生き方は、

 なぜ皆鍛錬的なのでしょうね、

 だらだらしたり、

 一日を棒に振ったり、というのは、

 現実を信頼していないと出来ないことなのかもしれませんね、

 そういう意味で私は現実と上手く折り合っていない、、

 トレーニングをしていないと、

 つかまる先がどこにもないような不安を覚える、、

 私はどこかへ行くのではない、

 ずっとここにいるのだ、、

 ずっとここにいるということを、

 観念する、、

 私を、

 どこかへ放ろうと思っても、

 放る先はない、、

 

 自分にしか興味がない、

 というのは変な言いではないですか、、

 私は自分にも興味がありません、

 知ってほしいという気持ちもない、、

 ただ、

 生き物が、そうやって、

 自分にも、

 他人にも興味がないまま、

 何かをやっている、

 人生などというものに何にも思いを入れることができないまま、

 何かを積み上げることには喜びを感じることもある、

 このいびつな運動は何ですか、

 一体、

 何ですか、これは、

 という興味なら、

 それは無限にあります、、

 それは私の小さい頃からの疑問、

 人生は二度と繰り返したくないことの連続なのに、

 身体はおもしろく、

 トレーニングはよろこびであるのはなぜか、、

 分からない、

 私が人と話をしていて、

 さびしくなるのも、

 当たり前に人生を構築していく話から、

 瞬時にこぼれてしまうからなのです・・・