<3061>「抽象的、建設的、荒れ」

 1日、1日と、

 先へ行くにつれ、

 あなたは、

 私が遠くに行けるように、

 面白くなるようにと、

 身体を設計しています、、

 一方で、

 今日死んでしまっても、

 明日死んでしまっても、、

 それはまったくどうでもいいことで、、

 私には関係のないことだという、

 自身の置き方もあるんです、、

 

 なぜ、

 時間をかけて、

 どこまでも遠くへ行きたいと思っているのに、

 一方では、

 今日死んだって別に何も構わないと思っているのでしょうか、

 そういうふたつの方向が、

 矛盾なく、ではなく、

 矛盾したまま、

 自分のなかに存在する、、

 この身体は不思議ではないですか、、

 

 ね、

 さんざっぱら、

 私には話したいことなどなんにもない、

 なんにもないと書いてきて、、

 いや私は、

 具体的に私に起きたことや、

 生活のことなどを、

 話す興味がないだけで、

 もう少し抽象的なこと、

 これは何故なのだろうということなら、

 いくらも話したく、

 現に付き合いの長い友達とはそういう話が出来、、

 社会のなかでは、

 決してそういった抽象的な話というのはウケないから、

 (周りの噂話や、具体的な話ばかりが行き交う)

 私も普段はそういう面を、

 しずかに深く封印していることを、

 思い出していました、、

 

 人間を見るときも、、

 その人の建設的な部分、

 健康的な部分と、

 荒れの部分、

 破壊的な部分の、

 その矛盾、

 その両輪が、

 上手くその人のバランスを作っていること、

 人間というもののその、危うさと、、

 おっかなさと、

 かわいさみたいなものに、

 注目してしまいます、、

 メシは何を食っていたって別にいいんです・・・