1日、1日と、
先へ行くにつれ、
あなたは、
私が遠くに行けるように、
面白くなるようにと、
身体を設計しています、、
一方で、
今日死んでしまっても、
明日死んでしまっても、、
それはまったくどうでもいいことで、、
私には関係のないことだという、
自身の置き方もあるんです、、
なぜ、
時間をかけて、
どこまでも遠くへ行きたいと思っているのに、
一方では、
今日死んだって別に何も構わないと思っているのでしょうか、
そういうふたつの方向が、
矛盾なく、ではなく、
矛盾したまま、
自分のなかに存在する、、
この身体は不思議ではないですか、、
ね、
さんざっぱら、
私には話したいことなどなんにもない、
なんにもないと書いてきて、、
いや私は、
具体的に私に起きたことや、
生活のことなどを、
話す興味がないだけで、
もう少し抽象的なこと、
これは何故なのだろうということなら、
いくらも話したく、
現に付き合いの長い友達とはそういう話が出来、、
社会のなかでは、
決してそういった抽象的な話というのはウケないから、
(周りの噂話や、具体的な話ばかりが行き交う)
私も普段はそういう面を、
しずかに深く封印していることを、
思い出していました、、
人間を見るときも、、
その人の建設的な部分、
健康的な部分と、
荒れの部分、
破壊的な部分の、
その矛盾、
その両輪が、
上手くその人のバランスを作っていること、
人間というもののその、危うさと、、
おっかなさと、
かわいさみたいなものに、
注目してしまいます、、
メシは何を食っていたって別にいいんです・・・