素朴な私の声の、ひだ的恥じらい、それで提出。
また、あるいはおそらく眉の、その、雑談体質に、人(ひと)は静かに魅入られてゆく。
窓(それも一面の窓)をベロリと舐め取り、ベランダに向けてひらかれた舌、それも肥大、限りなく肥大。
建物をひと舐めしてやったらどうなるのだろう。おそらく、私の、住む、、棲む、、まるで感触の違うタテモノの、あるいは鎮座の仕方、というものを知るノだろう。
味覚、いや、触覚は、山に帰れと言うのだろうか(私の喉でない言葉で?)。
「いや、あたしは山に縁がないのです」
と言うのだろう、カラスはガハハと笑うだろう(カラスにユーモラスが溢れることはある?)、ノ。
俺の後ろに立ち静かに指を見せ、孤独が一種の面白いテンポで響いているのを知ると、ところへの確信、いや、ぼんやりとしたイメージ様(よう)のものが浮かぶ。
「あァ、私はひと声(こえ)に、ここまで歩いてきたのだ」
と。感慨は、うつろな喉へ、一定時間をかけて映っている。誰も吐き出したくない。誰も。
ところで、指のマにあなたが集める意識の、その外側で夢想が青緑色の息を吐いているとき、なんだか知らぬからだがあたたかくなってきて、あ、あたたかさ、それで大丈夫だと、誰の音(ね)でもなく言う。
ひとり外(そと)で眠っている人(ひと)に全ての、あるいはあおむらさき色の夢想が重なるとき、そこには誰が訪ねたのでもないひとつの歩行がにじみ出す。あれはひとつの鳥の笑みの夜と・・・。