<883>「うたいの只中」

 うたの酔(よ)、過ごし・・・。私は垣間見、それは以前と違(たが)わぬ人々の優美・麗・うららかな、、一枚。

 記憶が私を演奏している・・・。私は静かな客たりえているのだろうか・・・。

 絵画の、息(いき)性を言うのなら、あるいは私が言葉と呼ぶものの方(ホウ)へ、名として限りなくふりそそいでゆく覚悟なら、私は微笑み以外の言語をも知らねばなるまい。

 見てくれ。あれは、新しい眠りのそばで、少しも呼吸を意識しないという態度だ。間違いとも、合っているとも言(ユ)えぬ。

 俺を陽光と間違えないでくれ。俺は葉っぱのある角度におそろしくよく似ていることを喜ぶものだ。

 ひとつのかげりが疑問符としての素顔を晒すとき、眩しさはただただ丁寧な道案内の役を買って出る。俺は無言で頷き、ついてゆく。

 ローマ字が私の呼吸法をいちいちからかうとき、

「ふん、いいさ、私は私の文字のなかでゆっくりと踊ってみせる」

と、少々浮かれ気味に口走ってみたりする。

 駆け抜けたまろやかさのなかに私の名前を見つけると、仰天は空(ソラ)をほとんど、一枚の紙にしてしまうのだった・・・。

 ペラペラ、ペラペラと、あなたの、一枚の紙以上を見ようとするその目つきに、ほとんどの表情で応えるわたし。わたしは歌をうたうの。それから、また文字に名前をつけ直す・・・。