2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

<189>「具体的な動きを見て」

あまりいじくり回すのも良くないのだろうが、心の問題ほど不可解で、また面白いものもない。気持ちが萎えていたら出来ないものも、また盛り返してくれば出来る。それはすごく重要な移り変わりで、萎えているときに無理に動こうとするのは良くない、というの…

<188>「増える円、回る円、重なる円」

時間は出来事や時代の分だけ在り、新しい出来事に出合えば、私の中のどこかに円みたようなものが形成され、後、すぐに回り始める。最初のうちはまだ円も少ないので、全てが回っているが、しばらく経って円も増えてくると、あるものは止まっていたり、あるも…

<187>「恣意的」

それを失ったら終わりだ、というようなものを失って、平気でいるのとそこでは決まっていた。真面目さが順序を解体するという話が私にはよく分かる。建築物には何かの無理がある。何かの図を作る、するとそれに規定される。そんなことは窮屈だと言うよりほか…

<186>「私は覆えない」

判断することには、覆ったと勘違いする危険が含まれている。いや、判断すること即ち、勝手に覆ってみせることなのかもしれないが。これは不可解なことかもしれないが、誰かのことを私は全面的に掴む。しかし、その人の全体を掴む訳ではない。であるから、私…

<185>「好奇心と問題」

高尚な話題、規模の大きい話題に関心を持っているときに忘れがちになるのが、それがとても楽しいと感じられているから参加できているという事実だ。どんなにか過酷な、悲惨な現実に向かっているときでさえ、楽しさは裏にびっしりとくっついている(楽しさで…

<184>「私は納得ずくでこの道の上を」

自分と似たものが出来上がれば、延長が分かりやすいのか。恐怖としての欲望、つまり怖ろしいまでに同じものを望んでいる。私がここで続いていくという幻想を保持しやすい。教育の運動というのは、開いていくと同時に閉じていく。同化していくことを望む場合…

<183>「ドアの開けざま」

教育欲というようなものの現れを見ると、いつも、う~んと思ってしまう。それは自分にもある類のものであるから尚更だ。つまり、自制すべきものなのではないか。こういうことを考えている、疑問に思い続けているが、上手く響いて行かない、というイライラは…

<182>「えい」

嫌な陶酔、嫌な酩酊というのはやはりあって、それは酒を飲んでいるときを考えれば一発なのだろうけれど、酒以外でもそうだ。自己批判にしたって(勿論他者批判もそうだ)、正義感の発露にしたって、必ず酔いというものが伴っていて、それを感じて後悔するか…

<181>「自己批判、」

自己批判が目的ではなく手段になっていることがほとんだと感じる。つまり厳しい目を向けているのではなく、他人を黙らせる為、介入させない為に、自己批判を手段として持ち出している。黙らせたいときは、相手に直接、 「黙れ」 と言ったり、何かを説いたり…

<180>「あ、ちょっと、その目」

怖い視線というのは、実はあまり大したことがないのかもしれない。いや、確かに怖いのだが、危機として非常に分かりやすいから、対処の仕方も分かりやすい。それより、何だろうあの不気味な睨みは。ぶるぶるという慄えが背中から足にかけてやけにゆっくりと…

<179>「凝視の」

よく見なさい、というのはそうすればきっと何かが得られるからではない。何かの為ではない。ただ見るということ。残らず全部を見つめるということ。では何故そうするのか。何故というものはないのだ。どういうことだろう。言われただけでは分からないが、ひ…

<178>「欲望に名前はない」

欲望が迷いであるというのは、そういうことではないか。つまり欲望に惑わされるから気をつける、しかし何故惑わされるかというと、欲望自体が混乱している、欲望が迷っているということだ。これは、無意識をイコール本音に安易に結びつけることに対する疑問…

<177>「自分というのはいつもいつも時間からほどけるのです」

結局何ものかにはならない。何者かになるようには出来ていないからこそ、段階、地位を作る。尤も、結局何者でもなかったとしても、そういう位置を設定して、自身の振舞い、周囲の振舞いがそれに沿うたものになって行けば、本当に何者かになったような現実状…

<176>「視線の無時間性」

その日、私は歌をつけていた。ゲームに付随する応援歌のようなものを。いや、歌は友達がつけていたのかもしれない。可笑しくなって続いた。その楽しみに夢中になる一方、何か幼過ぎるような、似合わないような感覚に陥り、事実そのときは幼かったのだが、今…

<175>「行動が全てという考え」

行動が全てという考え、その実践には良い面と悪い面がある。尤も、~が全てという極端な考えに身を置く以上、良いものと悪いものが力強く浮き上がってくるのは仕方ないのだが。良い面は、行動が重視される以上、何はともあれ物事は前に進むということ。口だ…

<174>「付き合い」

大方の人には分かんないだろうねと、敢えて分からないような、あるいは分かりにくい提示の仕方をして得意になっているのもガッカリだが、自分が分かるか分からないか、理解が容易か否かを基準にして、分からなければ即、 「こんな分かりにくい、難しいものは…

<173>「運命ということ」

運命というものは何かと考えるとき、それは言葉の意味を追えば当然なのだが、逃れようなどと思っても逃れられないもの、意志などを超えたところで定められているもの、となるから、例えば私にとってそれは、 「日常性の枠に取り込まれる」 ことだったりする…

<172>「ずれて、」

まるで同じことを言っている。内容に少しくの差はあれど、また同じことを考えているし、また同じ通路を進んでいる・・・と思うのだが、ほんの少し前のことでさえ、もう何と言っているのか分からない。こんなにも変わってしまうのだろうか。同じことを言おう…

<171>「混濁のヒ」

意識に上ることを信頼しすぎたり、意識に上らないことを信頼しすぎたりすることには無理がある。頭を強く働かせさえすれば真理に至れるだとか、無意識に抱いてしまっている気持ちの方が本当だ、という考えはどちらも極端なのだ。上ってくるものと上ってこな…

<170>「親指が痛いぐらいのことで」

親指がいたい、それも、ちょっとしびれを感じているぐらいの程度で、どこまでも押して行けたら面白いだろうな、いや、そういう場面てのは意外とよくあるような気もする。相手が深刻な家庭問題、またひとりは大病、またひとりは大いなる憂鬱を抱えているとこ…

<169>「大袈裟なこと」

大袈裟になることをどうも挫かれるように出来ている。辛いことや悲しいことがだんだんに自分の中で大袈裟になろうとしているのを見ると、笑ってしまう。苦痛が随分と簡単に快楽へと接続されるのを覚えて、何となく胡散臭さを感じるようになり、そして幸不幸…

<168>「原初の重さ」

何も分からない存在はどのようにして歩むのか。それはお前の歩み方をよく見てみれば分かるだろう、分かるか? いや・・・。倦怠感は純粋に身体の問題だという気がするのだ。同じ感覚に貫かれていながら、全く元気がなかったりだるかったり、一方でピンピンし…

<167>「ひとつの世界で人を掴む」

受容する身体がひとつひとつ違うのだから、 「お前はあいつのことを何にも知らない」 までならまだしも、 「だから、あいつについてのお前の認識は間違っている」 までいくと、それは違うのじゃないかなと思う。或る人物のことが分かる、そしてその分かり方…

<166>「参加する姿勢を見ている」

会話は雰囲気の確認、関係の深化が目的であるから、相手の話の内容をしっかりと聴く必要はない。むしろ、話の内容に拘りすぎると、会話は発展しない。大体が会話の出発点、きっかけとして出されるものに確実に返そうとすると、 「ああ、そうなんですか」 で…

<165>「効果的対話の稀少さ」

話し合うことが必要だ、そうしないと何も前に進まないという話と、議論なんかしていても仕方ない、各々が勝手に思考を進めていく方が結果的に良いという話とは、一緒ではないまでも矛盾はしないと思っている。つまり、こちらの為にも相手の為にもなるような…

<164>「理不尽に襲われるもの」

怒りというのはとことん理不尽なのかもしれない。理が混じることもあるにはあるが・・・。ほとんど理のないところに理を見よう解釈しようとするところにしんどさはある。自身が向けるもの、向けられるものの両方が、理不尽であることを拒否する、あるいは、…

<163>「イメージをきく」

私が聞く私の声と、相手が聞く私の声とは違う。その事実を録音機器などで確かめる。 「ああ、私の声は、¨本当は¨こういう声なんだ」 と。しかし、私が現実に暮らしているときに、身体の内側にあって直接聞いている私の声は偽物ではないだろう。つまり内側に…

<162>「生活する身体」

例えば生活の細部、そこで何が使われているのか、どのようなルールの下にあるのかなどに驚くことはあるだろうが、生活自体に驚くことはあまりない。これは、他人の生活の想像困難性にも関係しているのではないか。つまり密接過ぎて見えようがない、しかし密…

<161>「本当でない人とは誰?」

確かに感じられる、というところで済ませられないで、「真の」とか、「本当の」とかを持ち出さずにいられないのはどうしてだろうか。確かに感じられたのなら、それが自分の中でしっくり来たならば、もうそれでいいじゃないか。そこから、 「本当の何々とはこ…

<160>「幸福ですか」

人物について間違うということはない、お前は分かってるなあ、という表現のされ方に対する違和感、本当というものの頼りなさ・・・。こういうことをよく考えるが(以前に書いているが)、幸福を目標とするという話も、同じ疑問の範囲に属する。 あなたは幸福…