<189>「具体的な動きを見て」

 あまりいじくり回すのも良くないのだろうが、心の問題ほど不可解で、また面白いものもない。気持ちが萎えていたら出来ないものも、また盛り返してくれば出来る。それはすごく重要な移り変わりで、萎えているときに無理に動こうとするのは良くない、というのは経験的に分かるのだが、はて身体の作りが変わってしまう訳でもなし、違う場所に移されるのでもなかったとして、気持ちの変化で行動が可能か否かが決まるなんて、何とも変な感じがするではないか(別に変ではないのだが)。時折夢想する、気持ちが萎えるとか盛り上がるといったことに関係なく動ける身体を。それは自由ではないか。別にそこで自由になったからといって何をしようということでもないのだが。そうやって動く自分を想像して、軽くなった気持ちになる(いや、実際に軽くなっているのかもしれない)。ひどく落ち込んでいながらも、やけに力強く行動している、それは何だか不気味であるかもしれない。しかし、それはそれでまた愉快ではないか。