<177>「自分というのはいつもいつも時間からほどけるのです」

 結局何ものかにはならない。何者かになるようには出来ていないからこそ、段階、地位を作る。尤も、結局何者でもなかったとしても、そういう位置を設定して、自身の振舞い、周囲の振舞いがそれに沿うたものになって行けば、本当に何者かになったような現実状況に入ることは出来る。問題は、それがイリュージョンのようなものである以上、頻繁に解けてしまうということだ。一日の終わり毎のような短いスパンでも解けるし(秒などのもっと短いものもあるが)、長年の勤めの終わりというような長いスパンでも解ける。要するに、根本は何者でもないということに、表層部でどこに位置していようが触れ続けなければならない。誤魔化せるのならそれも良いのだろうが、それは人間の生が物語のように進んでくれればのことでもある。実際は、自分の中で、出来事があっちで拡がりこっちで拡がりして、バラバラに動いている(収拾はつかない)。止まっていたものが突然動き出したり、一方全然関係無いところで別のものが急に止まったり。そして瞬間々々が全てだ。つまり長い年月誤魔化していたからといって、解けたときに全的に、何者でもないという事実にぶつかってしまうことは避けられない。それは、瞬間々々ごと、常にと言っていいほどぶつかっている場合と実はあんまり変わらない。何故なら瞬間は全的で、リズムは断続的で、線はバラバラで、始点から終点に向けて真っすぐに一本の線が伸びている訳ではないからだ。何者でもないということを確認することが、果たして辛いことなのかどうか、それは疑っている(ぶつかるなどと言ってみているけれど)。