<171>「混濁のヒ」

 意識に上ることを信頼しすぎたり、意識に上らないことを信頼しすぎたりすることには無理がある。頭を強く働かせさえすれば真理に至れるだとか、無意識に抱いてしまっている気持ちの方が本当だ、という考えはどちらも極端なのだ。上ってくるものと上ってこないものにはそのままの違いがあるだけであり、どちらかが本当なのではなくて、その混ざり合いだ。それでは混濁したままではないか。理性とか知性というものは、もっと強く、スッキリしているものだ。いや、知性なんかどうでもいい、無意識を根掘り葉掘り調べてやるからちょっとそこに座って待ってろ。訳が分からなくなって混乱している頭など弱い頭だ・・・。どうして混濁したままを混濁したままのものと見留めないか。意識に上らない気持ちが本当の気持ちなら、どうして簡単にそれを捨てられるのだろう? 素直じゃないから? はて素直とは・・・。食う寝るという基本的なこと以外では当たり前に欲望と自身との不一致が起きる、ということは、つまり混濁しているということ、そのままシンプルに分裂しているということではないか。