<188>「増える円、回る円、重なる円」

 時間は出来事や時代の分だけ在り、新しい出来事に出合えば、私の中のどこかに円みたようなものが形成され、後、すぐに回り始める。最初のうちはまだ円も少ないので、全てが回っているが、しばらく経って円も増えてくると、あるものは止まっていたり、あるものは動いていたりというようなことになる。幼少時、時間が長く感じるのは、回っている円の数々を逐一見渡せて、かつまたじっとよく見ることが出来ているからではないか。年を経て、円の数も増えてくると、あまりどれもに目を配ることが出来なくなったり、あっちゃこっちゃ見ることに忙しいので、ひとつの円をよく見るということが少なくなり、時間の過ぎ方も早く感じるようになるのではないか(よく物を眺めているときと、なんとなく見たり見なかったりするときとでは、時間のスピードが違うだろう。つまりなんとなく物を見ていると、気づかぬうちに、充分に吸収できぬうちに、流れてしまうようなことになる)。

 止まっていた円がそれ相応のきっかけで動きだし、また現実でもその円に関係するようなことに出合うことによって、照明がその円に充分に当たるようになると、まるでこの円が本当の私の中心だったような気がしてくる。この場所が基本の場所で、他のところを回っていたのは、全てここに帰ってくるための寄り道だったのだとすら。しかし、その場を物理的に離れることで、強烈な光も消え、再びその円が回ったり回らなかったりというリズムに還ると、中心の場所がそこであったなどというのはまるで勘違いであったかのような気がしてくる。しかし、勘違いであるかどうかは分からない。円の数だけ中心、基本の場所を私が持っているということかもしれない。時間について私はそんなイメージを抱く。