<200>「静かに歩を入れる時間のことを」

 どうしようもないだろう。どうして救われなければいけないのだ。肯定と否定を頼りにしなければいけないというところに不自由がある。完全に切り離されることを望んでいる訳でもないのだろうが、否定的な場は勿論のこと、肯定的な場にだって長くは居られない。性分だ。承認がなきゃいけないとか、肯定されていないと、とかの類が大して響いてこないのを知っている。それはふいに腹の辺りが温まったと思うと、全体が安らかな気分になることを知っていて、それは外的な事柄とほとんど何の関連もないことすらをも。やけに苛立ちを覚えたり、やたらに競うような気持ちにさせられるのは、全体から見れば僅かなことで、そんなことはまるで関係がないということをちゃんと知っている。おそらく皆が皆ちゃんと知っていることであるだけに、あまり露骨にそれを表明することは憚られるのかもしれない。そうして余計に苛立ちをアピールするようなところが・・・。