<204>「いつから始まって、いつが終わりで」

 結果的に徒労であったということが明らかになり、疲れてしまうのは分かるが、しかし徒労であるということ(また徒労とかではないということ)を承知していると、疲れる前から疲れている。すると結局いつまでも走れるのだが、例えばそれは食っていることに気がつかないでいつまでもいつまでも食っていることと大差はないのだし、沢山食べてみたいからといって、沢山消費していることに気がつかないのはどうか。当人はたらふく食べた感じがほしいのではないか?どちらにせよ、沢山食べていることがひとつの条件なら、気がつかないでいればいいという気もする。それは時間的制限であったり、状況的制限であったりするのだろうが、全く制限がかからない状態を望むと同時に?