<216>「隙間に、」

 人は、意味がないということ、ただ生きているだけだということに耐えられないのだ、というようなことが言われたりするが、果たして本当にそうだろうか。意味がないということ(意味とかではないということ)、ただ生きているだけだということが何となく耐えられないように感じる瞬間は確かにあるが、しかしそれはあくまでも全体の中の一部で、ごくたまにしか訪れない瞬間であるというような気がしている。つまりほとんどの時間、無意味、ただ在るという事実に耐えられている、というより、耐えてすらいない。見事にそれらと一体化しているので意識すらしていないようである。第一、ただ在るということに、ほとんどの時間耐えていられないようならば、人は自己の身体と共に歩んでいくことが出来ないだろう。

 同じことを繰り返し続けている。同じ状態がずっと続いていてそれを確認し続けていると、あるタイミングでふと言いようのない不安と恐怖に襲われることがある(さっきから延々と続けられているが、何だこれは・・・)。つまり、ただ在ることに耐えられないのではなく、ただ在り続け、そして今後もただ在り続けるであろうことにふと気づくその隙間でぞわっとしているだけなのだ。身体が身体であり続け、どの瞬間も身体であることに対する今更ながらの恐怖、何度も何度も瞬間的に思い出す。いろいろなところへ行ったはずだが、さて自分は自分以外ではない・・・。

 しかし、恐怖はしばらくするとまた収まっていく。身体がただ在るのはあまりに自然なことだからで、そちらに一体化していく過程もまたごく自然であるからだ。