<3002>「どこまでもどこまでも生き物の匂い」

 水や、命にかかわるものが、

 少しも出なくなり、、

 私は、

 ひとつの展示となる、、

 展示いやそうか、

 あなたが内側から確認する、

 大人になるということを、

 少し延長してきてしまったが、

 さて、なる段になると、、

 ここは、

 少しこわく、

 楽しく、

 あまりにも静かだ、、

 

 あまりにも簡単に、

 私は大人の人間として招ばれ、、

 そして、

 色気づく、、

 私は自分が性であることを、

 今までは信じていなかったといってもいい、

 でも、

 もう色気づいてしまった、、

 これはあとにはもどれない道、、

 あたしはあまりに簡単に、

 そんな場所へ出た、、

 そんな場所から、

 複数人に及ぶ、、

 わたしは接触であり、

 その接触のなかで、

 秘密を解き、、

 また新たな秘密を持ち帰り、

 今、

 はじまってしまった生のなかで、、

 私は泡立っている、、

 

 どこまでもどこまでも生き物の匂い、

 ぺちゃぺちゃと、、

 からだをふんで、、

 からだを全て含み終えてしまって、

 どこまでもどこまでも歓喜の世界、、

 大きな秘密を捨て、

 ただただむさぼるように、

 生き始める世界、、

 あたしはなんだ、、

 あたしはこんな興奮のさなかに、

 まっすぐ出始めるつもりなのか、、

 いくらも集まる、、

 このからだの泡から、、

 自己をまた再確認していくつもりなのか、、

 なああなたは、

 匂いのもと、、

 どこからどうみても匂い、、

 私はそれに反応する、

 私はそれに紛れる、、

 あなたの肌にすぐ集まって、、

 まぎれていく匂い・・・

<3001>「さびしさ、こわい、暗さ、存在意識」

 私はさびしさかもしれない、

 私は、

 当たり前の喜びにかかわる、

 ひとりの人間であれて、

 うれしさかもしれない、

 よくきこえる、、

 私には、

 私の存在の平面が、

 静かに振動する音が、、

 

 不安と、緊張で、

 ずっとふるえている、、

 でもそれでいい、

 私には欲しいものがある、

 私には掴みたいものがある、、

 そういうとき、

 こわがったり、

 ふるえていたりするのは、

 当たり前のことなので、

 そのままでいい、

 私は、

 ずっとこわくて、

 ふれられなかったものにふれようとしている、

 のがれたくて仕方なかったものも、

 別に、

 こわいままではあるけど、

 一生懸命のがれなければならないものでもなくなっている、

 私の中で、

 現実は、

 接触可能なものとなっている、、

 

 あなたには暗い生命、

 生命は暗い、、

 私は、

 私がいないところでも存在している、、

 存在していることが、

 不思議によく分からない、、

 ただ、、

 私はひとつひとつ物を重ねることができる、、

 そのことに対して、

 暗く閉じてしまう必要はないということ、

 特別明るくなくてもいいけれど、、

 

 自然に身体が流れる、

 今あなたの身体、声に対して、、

 自然に私は像を結ぶ、

 あたしは声のはじまりに、、

 あなたの存在を意識した、、

 意識された、

 存在のあなた、、

 私は短い記憶、

 僅かな粒、

 そういうものから、、

 からだにつながる、

 物語を引っ張ってきて、、

 いま、

 腹部に巻きつけて、

 わずかに歌っている・・・

<3000>「生を大きく変える、一緒にいてもいい」

 もうあなたのような人とは、

 出会わないと思っていた、

 身体が勝手に喋り出し、

 あとで振り返っても、

 さて何の話をしていたのかが、

 まったく分からないほど、

 夢中になっていける人に、、

 

 人生が一度きりだということを、

 良い方向へ行くべく、

 自分の命を懸けるということだと考えてみる、

 仮に上手く行っても、

 上手く行かなくても、、

 生きて食べて死ぬことに変わりがなければ、

 私は命を懸ける、、

 欲しいものは取りに行く、

 自分が階段をひとつずつ、

 登るし、登れる方へ懸けてゆく、、

 

 多分、

 ひとつひとつも経過してしまえば、

 大したことではないのだろうけれど、

 私は、

 今自分の生を大きく変えることにしている、

 そのために必要なことを、

 ひとつひとつやるようにしている、、

 なので、

 1日がどこに着地するのかが分からず、

 毎日とてもドキドキしている、

 幸せなことではあるし、

 有難いことではあるが、、

 これが続いたらちょっとこわいような気もする、、

 

 今は不安かもしれない、

 これから先もずっと不安だと思うが、

 人生の本質が、

 あなたの生を懸けることなら、、

 私は前向きに行こうと思う、

 明日は、

 また一歩進んでいることを確信しながら、

 生きていこうと思う、、

 あんまりこのような生命が、

 私に理解できるまでには、

 長い時間が必要だった、、

 

 だから、

 私は人と一緒にいてもいいし、

 それも求めてもいいし、

 そのことに対して、

 賭けではあるけれど、

 大丈夫だと言っていいのだと思う、、

 あなたは大丈夫だ、

 私と一緒に歩こうと、

 言っていいのだと思う、

 そんなことを言う人間が、

 自分の中にいるとは思ってみたこともなかった・・・

<2999>「存在者が発話する、からだのなかの泡」

 ねえ、さわる、、

 今、あなたは、

 想像もしない場所の、

 まさに、

 からだの初めに、

 さわろうとしていて、、

 その衝撃で、

 どこまでも先へ行こうとしている、、

 からだかたち、

 生まれたのね、、

 あなたからだかたち、、

 いくつにもする声、

 渡しながら、、

 

 私は想像のなかに、

 想像はあなたのなかに、、

 あなたが存分に流れて、

 からだは増えていくのに、

 あなたはつかまって、

 あたしは泡をする、、

 泡が私をする、

 私は遠くへと流れながら、、

 からだの形をする、、

 からだからはらって、

 あたしのみた声の主、、

 からだからはらって、

 はらって、

 はらった先に、、

 なおあなたのような、、

 存在の中心があらわれてくること、、

 私はあなたの水、

 あなたの水の中の存在、、

 存在者が発話する、、

 発話するからだのなかの泡、

 泡、なんで、、

 なんでからだかたまるの、

 なんでながれるの、、

 なんでわたし二重音声を、

 発しているのだろう、、

 

 あたしが存在者の、

 ただひたすらな声をきいたとき、、

 からだの横に線が走る、

 ああ、あたしは生きていた、、

 この声をきくべく、

 生きてきた、、

 そう思えてしまったり、

 何度も何度も、

 失ったと思えた心地のなかへ、

 逆にかえってくる、、

 それによって、生きてくる、、

 あなたの生命の中心に、、

 からだがふくらんでくる、、

 ねえ、

 ここにあなたをためてよ、、

 私もいくらかふえてみるね・・・

<2998>「人間の世界へ」

 さあもっと人間のなかへ、

 なかへおいで、

 こわいぐらいにその人間の、

 組み替わっていく姿を、

 まっすぐに捉える、

 あたしの瞳、、

 あたしはそんな、

 ふざけた遊びに参加したい訳ではない、、

 それぞれの世界のなかで、

 揺れて、

 遊んでいたい、、

 やはり遊んでいたいのか、、

 何もしないことを望む訳でもない、

 どう生きたら楽しいだろう、、

 どう絡みを作ったら、

 

 からだは走る、、

 私は、

 夜の、

 誰もいない道をまっすぐに走り出している、、

 ここから、

 呼吸だけを取り出して、、

 私は現実の装置を、

 少しだけ動かす、、

 少しだけ身体の振動を、、

 この表面にあらわす、、

 なにだなにだあらわれて、、

 私は自然と笑顔になる、

 自然と笑顔になる人を、

 持つよろこび、、

 あたしはまったくうれしくなってしまって、

 ここがどこだか、

 なおのこと分からなくなる、、

 

 緊張だな、緊張、、

 毎日、

 あたしをあざ笑うかのように、

 淡々と日々は進んでいて、、

 私は何か巨大なものが近づいているのを、

 ふるえながら見ている、

 おれはこんなことをやっている場合ではないのだが、

 と言って、

 いろいろな細かなものごとを除いてしまうと、

 本筋まで死んでしまう、

 それは分かる、、

 だからどんな状態でも、、

 行ったらいいですよ、

 あなたも私も、、

 行ったらいいですよ、、

 おんなじ声を作り、

 おんなじ表情を作り、、

 その、景色の先まで、

 あたしは緊張しているのに、

 しているからかな、

 なんとなくにやにやしてしまう、、

 なんとなくからだが宙に浮いてしまう・・・

<2997>「死後の生を作る作業」

 死んだ人と話す、

 本は、

 しかしその人が生きているときに書かれたもの、

 もの書く人が、

 皆同じかは知らない、

 ただ、

 生きているときは、

 現実の社会のなかで起こること、

 人との関係のなかで生まれること、

 それに比べて、

 書くことがとても頼りなく思える、、

 全くたいしたことではないようにも思える、

 なにをやっているのだろうとも思える、、

 

 ただ、

 死んだ人にどうやって私たちが出会うかといえば、

 書いたものを通してなのです、

 その人がいきいきと生活していたり、

 現実の社会のなかで様々な出来事に遭遇していたり、

 という生そのものを、

 私たちは、受け取れない、

 あるいは間接的にしか受け取れない、、

 人が、

 生きているとき、

 こんなことがなんになるのだろう、、

 こんなことをしていて、

 一体全体なにになるのだろうか、

 と思っていたものの方、

 つまり書くことの方が、

 通路を作っていることにいつも新鮮に驚きます、、

 私はこの、

 なんだか分からない頼りないものに、身体を運ばれて、

 今日まで生きてきています、、

 

 生が、

 二重になっている気がする、ということを、

 前に書きました、、

 書くことから私が受け取ってきた、

 その様子をじっくり観察すると、

 おそらく、

 書くことは、

 生きながら、

 死後の生を少しずつ先取りすることなんだろうと、

 そういう風に思います、、

 書かれたものは、

 基本的に死んだあとに読まれるべくあるものなのだ、

 だから、

 私は具体物として現実の生を生き、

 一方で、

 書くことにより私の死後の生を、

 せっせと作っている訳ですから、

 生きていることが、

 二重になっているように感じられるのは、これは当たり前のことです、、

 というか、明確に二重なのです、、

 愛していて、

 しかしそれ自体がどこか少し遠いのも、

 それで普通なのかもしれません、

<2996>「想像の内と外」

 私が思っていた通り、

 物事の、

 緊張があちこちで高まり、

 思ってもいなかったことが、

 次々に起こる、、

 人との出会いは事故だ、、

 衝突だ、、

 私は、

 思っていた通り、

 思いもしなかった場所にいる、、

 

 1か月、いや、

 1週間やそこらで、

 起きていることがまったく多すぎるぞ、、

 しずかな平面に、

 まったく私のからだが出て、

 私は、

 ここは誰のどこなのだと、

 まず確認するところから始まる、、

 まったく、

 私の内部は荒れているだろうか、、

 投げやりな部分と、

 なにがあっても自分の作業を、

 ひとつひとつ積んでいく部分とが、

 なにとも喧嘩せず、

 静かに共存していることを奇妙におもう、、

 奇妙におもう、

 必要まではないかもしれないが、、

 私の身体、

 私だけでなく身体は、

 論理が通る部分と、

 通らない部分とがある、、

 人の興味は、

 盛り上がったり、

 引っ込んだりしている、、

 あたしは汗をかく、

 今向かいつつある道が、

 本当にこわい道であることを、

 しずかに感じている、

 毎日緊張している、、

 

 あたらしく生まれ、

 呼吸がさらに遠方へ、

 遠方へ届き、、

 私はひとつの重なりになること、、

 私はひとつのメッセージになること、

 からだから先へ、

 徐々に徐々に形を成しながら、、

 あなたが準備をすること、

 準備が次第に整いつつあること、、

 あたしの方を向き、、

 あなたの方を向き、

 ひとつの予感に打たれていること、、

 ひとつのメッセージに打たれていること、

 ひとは遠い、

 ひとは気がつくと、

 とても近い・・・