母が、
自分ひとりのために作る料理は、
とっても簡単なものになる、、
と言う、
私に日常的に用意されていたものは、
とても張り切って作られていたものだと知る、、
これは、
人間として自然なことなのかもしれない、
私も、
そもそもの芸がないとはいえ、
自分のために、
張り切って食事を作ることをしない、、
人間は、
自分の為、というのが、
よく分からないのが自然ではないのか、
そうでもないのだろうか、
そこから、
セルフネグレクトのような、
病までの距離は、
どうも遠くないように思える、、
自分が自分を、
無視している状態が、
随分自然なことのように思えてしまう、、
他人の問題として、
距離を置いてはみれない、、
なにかがひどく汚れていったり、
散らかっていたり、という状態からは、
一応遠い、
しかしその遠さは、
自己を労わるところから来ているようには、
どうも思えない、
それはひとつの強迫性であったり、
乱暴なまでの活力、
健康さと密接であったりするような気がする、、
私は、
おそらくどんどんと追い込まれていく、、
距離があったが故に、
先人の、苦悩にウケていて、
調子に乗っていた時間が、
どんどんと終わりに近づいているのを感じる、、
私は、鍛える、、
あらゆること、
頭も、身体も、
それは、
しかし強さや偉さではない、、
そうでもしていないと、
私は、
私が走らせたこの書く生の重みに、
軽さに、
おしつぶされてしまいそうだからだ、、
私は鍛えていないと生きていられないほどには、弱い、、
自分を余裕のある位置から掬うのではなく、、
こぼれそうになっているものを、
必死にあちこち走り回って、
元に戻している感覚だ・・・