家族というものは、私にとって、
「私は存在しない」
と思い込まないことには通過出来ない場所でした。
同時に、私はその妄想を、自己の足場として内化し、強化しました。
生来の気味悪がりから来る、応えなさを、逆に自己の特色として育てました。
心苦しいことですが、私は、従って家族というものを、今度はあなたが主体となってやっていけばいいんだよ、と言われても、
「申し訳ない。すまない。私には家族を形成することには何の意味も見出せない」
と答えるより仕方がないのです。
友情は、ごく自然に結ぶことが出来ます。
しかし愛情に対して、その大きさにかかわらずいつも抱くのは、この、
「すまない」
という気持ちなのです。
それは、自分が最終的にはその愛に全く応えないだろうことがはっきりと分かってしまうことに対する申し訳なさです。
存在しない、応えない、それもなぜか応えないという在り方を、逆に存在の根拠にしてきたがため、
「愛されるんだからただそれを認めたらいいだけじゃない」
という理屈が、よく分からないのです。
私にとってそれを認めることは、私の存在を否定することになります。
私の、それによってなんとか自分を保ってきた足場を、自分で崩していくことを意味します。
存在を否定すること、自らの足場を自らで切り崩していくことは、難しいことなのではなく、出来ないこと、誰にも出来ないことです。
以前はそれを変更可能だと信じたこともありましたが、自分の存在の根拠をまるごと否定することは、かなわないことです。
どこに行っても必ず自分の共通の問題にぶつかり、これは一度自分で過去を探ってなんとかせねばならないと思ってこの『過去と治療』というテーマでものを書き始めました。
そして、続けてきて気づいたのは、治療という言葉が意味することについてです。
最初は、過去の問題に降りていき、そのいちいちに解決をつけることで、それらの傷が癒されていくことこそが治療なのだと漠然と思っていましたが、治療はそういうものとしては存在しませんでした。
そうではなく、自分という存在の道の辿り方、それが今に至ってもいかに大きな影響を保っているかを確認すること、そして動かせる部分と、絶対に動かせない部分を見定めることで、逆に腹が据わり、これが私なんだと存在の位置が決まり、静かに落ち着いてくること、そのことこそが治療だったのだと思います。
これを始める前と後とでは、精神の落ち着き方というものには雲泥の差があります。
また、この過程で気づけた大きなことと言えば、
「なるほど家族や愛の問題には全く意味を見出せず、愛してくれる人には申し訳ないと感じ続けて苦しい一方で、友情は自然に理解できること、友達には仲良くしてくれて申し訳ないなどとちっとも思わないこと」
を確認できたことです。
原初の不信を今更無しにすることはできない。愛もわからないし愛することもわからない。
しかしだからといって私はこの世界に、社会に、悪魔として存在していたいわけではないのです。
私は愛することは分かりませんが、友情なら分かります。
父が消え、抵抗するものもなくなり、ひとりで生活するようになり、孤独な場に立って、気がついたことは、世界に対して友情的に自己を組み立てることはそれでもなお可能だということです。
具体的な友人に接すること、友人でない人に対しても、底には友情を静かに込めて接すること、それが例えば家族であっても、友情的になら生涯接し続けることが出来るということ。
私は愛することは分かりませんが、理想的だと思う人の姿なら分かります。
「元気出そうよ、ほら、落ち込んでいないでさ、前を向こうよ」
などと、ポジティブさを押しつけることは誰にでもできます。そうしてそれは多くの場合、人を嫌な気持ちにもさせます。
そうではなくて、ポジティブなことも、人をけしかけるようなこともちっとも言わないんだけれど、その人と一緒にいると、気がついたら自分も知らず知らずのうちに前向きになっている。決してはしゃいだり、無理して明るく振舞っている訳ではないのだけれど、その人と一緒にいるとなんとなく自分も素直に明るくなってしまう。そういう人のことを、私は理想的だと思うし、一番格好いい人だと思うのです。
ですから私はこれからの人生、家族や愛は分からないけれど、友情は分かる人間として生きていきます。
人に押しつけることはないのに自然に周りの人をポジティブにさせる、静かでやわらかく強い人間を理想として、少しでもそういう人に近づこうと思って生きていきます。
私の世界には、愛を知る人の喜びは存在しないかもしれません。
しかし、私は理想を持っています。
友情的に存在するという、静かな可能性も持っています。
持っているものを十全に生かしていけたらなと今は思っています。