<2830>「1日と1人生はフラクタル構造」

 私には心臓の音もただ、、

 羽根をひろげているだけのように思え、

 私は未来の、、

 なにかある晴れた華やかな点へそっとおりるのではなく、、

 内的に、

 見えないものが少しずつ変わっていき、、

 気がついたら到達しているということ、、

 私はそのために狡猾になる、

 ぼうっとして、

 外側にまず膜を張る、、

 膜のなかで視線は、

 どこにも向かない、、

 あたしは時間を見る、、

 これを、どう配置するか、

 私なりにゆっくりと考えてみる、、

 

 おい児童期、

 お前は作業が足らないことにどこかいらいらしていて、、

 しかしまさか作業が足らないからだ、

 などということは思いもよらず、

 それを脚のさわぎ、

 むずがゆさとしてしか感覚出来なかったな、、

 1日と1年はフラクタル構造、

 1日と1人生はフラクタル構造、、

 私は1日の中にしかいないのに、

 人生があるとは何だろうか、、

 私は、

 生活というものが全ての基本だと考えると、、

 ここをどう組み立てるかが、

 全てを決定すると考える、

 しかし、

 1日の中だけでただ夢中になるのも良いが、

 それだと1人生がどこにあるのかが分からなくなる、

 だから、

 1日これをしたらもう今日死んでもそれは仕方ないと思える、

 かつ、

 1日これをすることによりまた明日は、明後日は、

 1ヶ月後は、

 1年後は、

 10年後は、

 同じことをしていながらまったく違う場所に出ることが可能となる、

 そういう構造を作りたいし、

 そのなかに居たいのだ、、

 

 私は嫌われたらどうしようとあまり考えなくなったな、

 それは強くなったからではない、、

 希望というものが、

 生活のなかからしか生まれてこず、

 そこを考え、

 修正しながら取り組み続けることにしか、

 生きている意義というものはないのだと、

 分かり始めたからなのだと思う、、

 私がおそれていたほど、

 他人は関係がなかった、、

 何を求めているのかが、

 後ろを振り返れば掴める、、