<2656>「集めてくれる人に」

 私だけが現実から剥がれている感じがする、

 と感じるのは、

 私だけではない、、

 と最近分かりはじめました、、

 だから少しで良いので、

 なるべく声を掛けようと思いました、、

 いいのです、

 私もあなたもどうしようもないところでひとりだと、

 確認できる少しのやりとりが出来れば、、

 いいのです、、

 

 同年代の友達だと、

 あんまり恥ずかしいというか、

 照れてちゃんと言えたことはありませんが、、

 何か集まりの場を設けて、

 各々に予定をきいてまわって、日時を決めて、、

 会を成立させる、という仕事を果たしてくれる人の意味は、

 とても大きいのです、、

 そんなことを、

 直接伝えたら、

 良いこと言いみたいになるので、

 あとやはり照れるので言えませんが、、

 そして、

 そういうことをすることの面倒と、

 声を掛ける私だけが乗り気になっているのではないかという疑いと、、

 終わったあとの虚脱感と、

 そういうものを私もまったく知らない訳ではないので、

 なおさら有難いなあと思うのです、、

 メンバーが皆、

 拠点を同じくしているならばまた違うのです、、

 それは幾分楽なのです、

 生活の姿勢も、拠点も、、

 なにもかもが別々になったあと、、

 人を集めてくれる人の、

 その力技にはものすごいものがあります、、

 

 でもやはり、

 そんなことは照れて言えないので、、

 私は私で、

 そんなことはないのに私だけが盛り上がっている、

 私だけが剥がれているという勘違いを含めたものを持ちながら、

 人には声を掛けたいと思いますし、、

 集まれるなら集まろうとする、、

 その中心の人に、

 なれる場面ではなろうと思います、、

 あいつはそういうのやりたがりだからなあ、

 と言われて、

 もう恥ずかしいという歳でもないではないですか、、

 場を空想する力を、

 持っているといいではないですか、、

 私の良くないところは、

 盛り上がると一気に片を付けようとするところです、、

 徐々に耕していけばいいではないですか、

 私にはそうした力もあるはずです、、

 剥がれている人間にも、

 付き合い方はあるはずです、、