<2084>「身体の切片と花」

 身体が剥がれて、

 時日のなかにまた、きこえなおしたろう?

 どうだ、、

 私は日の中へ去っていく、

 身体から分かれて、、

 今にアる、

 この誘いを含む姿はなにだ、、

 あなたを通した、世界の潤み、のようなものへ、、

 まっすぐに入るのではないのか、、

 さて、

 どうかしら、、

 これは身体の中に回転する、

 常に、

 ここの物事を確かめながら、、

 

 私は増えた物事に対して、、

 大きなアクションで応える訳ではない、、

 その場の回転に、

 静かに参じるだけだ、、

 ア、

 当たり前の手のひら、、

 身体が次々に揺れ出して、、

 ア、

 あたまのなかの踊る出来事を、、

 ただ静かに見つめている、

 ア、

 走る姿の滑らかを、、

 今身体に貼り合わせている、、

 のだ、

 ふるういくつかの手のひらから、、

 順に見え、

 順に駆け、、

 なにだ、

 こうまではっきり現れたのなら、、

 端まできこえて、

 今に身体を渡る、

 今にその声の時代が分かる、、

 あるならば、そのまま受け、

 そのままで混じるものよと、、

 ひとつの形で言いながら、

 

 花をする、

 どこかから粉が出て、、

 まだ原初の記憶でもある、

 ヤ、

 この地平で、花をするなどとは、、

 ちっとも考えなかった、

 それでも、

 意外ではなかった、、

 あなたはまだ粉なんでしょう、、

 水に紛れて生命であることを思い出すような、

 そういう体験を持ったことがあるのだろうか、、

 あたまのなかに育まれた、、

 そういう類の種を、

 美味しいものとして、

 ひとつ考えてみたことはあるだろうか・・・