身体が剥がれて、
時日のなかにまた、きこえなおしたろう?
どうだ、、
私は日の中へ去っていく、
身体から分かれて、、
今にアる、
この誘いを含む姿はなにだ、、
あなたを通した、世界の潤み、のようなものへ、、
まっすぐに入るのではないのか、、
さて、
どうかしら、、
これは身体の中に回転する、
常に、
ここの物事を確かめながら、、
私は増えた物事に対して、、
大きなアクションで応える訳ではない、、
その場の回転に、
静かに参じるだけだ、、
ア、
当たり前の手のひら、、
身体が次々に揺れ出して、、
ア、
あたまのなかの踊る出来事を、、
ただ静かに見つめている、
ア、
走る姿の滑らかを、、
今身体に貼り合わせている、、
のだ、
ふるういくつかの手のひらから、、
順に見え、
順に駆け、、
なにだ、
こうまではっきり現れたのなら、、
端まできこえて、
今に身体を渡る、
今にその声の時代が分かる、、
あるならば、そのまま受け、
そのままで混じるものよと、、
ひとつの形で言いながら、
花をする、
どこかから粉が出て、、
まだ原初の記憶でもある、
ヤ、
この地平で、花をするなどとは、、
ちっとも考えなかった、
それでも、
意外ではなかった、、
あなたはまだ粉なんでしょう、、
水に紛れて生命であることを思い出すような、
そういう体験を持ったことがあるのだろうか、、
あたまのなかに育まれた、、
そういう類の種を、
美味しいものとして、
ひとつ考えてみたことはあるだろうか・・・