それは、最初から用意されていた。その枠の他にはあり得なかった。枠は全てだった。中心で行われているはずの悲しみや喜びは、枠に吸収されて滑稽の形を取っていた。
遠ざかろうとして、真面目ぶればぶるほどに、枠は全てとなっていった。突き放そうとして笑うことには徒労感が伴った。
ただ、ひとりは微笑んでいた。悪戯を思いついたような顔をしてこちらを見つめ、大袈裟な動作で手足を動かし、ズルッと転んではきょろきょろと辺りを見回していた。枠の外で、あるいは中で、人々は笑った。しかし、枠をただの枠として位置づけられるのはその人だけだった。ただの形式的な囲いとして、大して価値のないものに押し下げられるのは、その人をおいて他には居なかった。そのように振舞えない人たちにとって、枠は依然として中心だった。