<2967>「記憶と記録」

 古田さんが、

 ようこそ先輩で語っていたこと、

 記憶できることは記憶する、

 記憶できないことは記録する、だったかな、

 子ども心にとても深く胸に刻まれていて、

 文言は正確ではないかもしれないけれど、

 今でもよく憶えている、

 よく憶えていることを、

 この頃特によく思い出すのは、

 自分の記憶に頼らないということを、

 考えることが多いからなのだ、、

 

 人間は、

 大抵のことは記憶しているし、

 思い出せる、、

 だから、

 ついつい大丈夫でしょ、と思って、

 記憶に頼ってしまう、、

 しかし、肝心なことは、

 いろいろなことを大概は忘れないで憶えていられることではない、

 憶えていても、

 必要なときにパッと出てこなかったり、

 ずっと憶えていても、

 今この瞬間、

 欲しいタイミングで、

 ふっと忘れてしまっていたりすることなのだ、、

 だから、

 記憶力が良いという語り方は、いらない、

 どころか、

 厄介な邪魔者になる可能性が高い、、

 記憶にとどまっていようと、

 欲しい今のこのタイミングでだけ、

 忘れている可能性があるということを承知して、

 メモを残しておく方がいい、

 

 記録、メモは、

 外部装置である訳で、、

 それはあまりに優秀過ぎる外部装置であるが故、

 メモの習慣、

 技術が発達すると、

 私が一瞬、

 どこにいるのかが分からなくなるような、

 言いようのない不安を覚えるのだが、

 その不安はあってもいいものだし、

 外部装置とともに生きるものの宿命だ、

 常に、

 なにかメモしなければならないことを、

 忘れているような気がする、

 生でいいのだということ、

 強迫的でなければ、

 勉強などできやしない、と千葉さんは言う、

 気になることは、

 気にすればよいと森田正馬さんは言う、、

 この意味での不安異常であることを、、

 肯定も否定もせず、、

 自己の生の形として静かに鍛えていくこと・・・