古田さんが、
ようこそ先輩で語っていたこと、
記憶できることは記憶する、
記憶できないことは記録する、だったかな、
子ども心にとても深く胸に刻まれていて、
文言は正確ではないかもしれないけれど、
今でもよく憶えている、
よく憶えていることを、
この頃特によく思い出すのは、
自分の記憶に頼らないということを、
考えることが多いからなのだ、、
人間は、
大抵のことは記憶しているし、
思い出せる、、
だから、
ついつい大丈夫でしょ、と思って、
記憶に頼ってしまう、、
しかし、肝心なことは、
いろいろなことを大概は忘れないで憶えていられることではない、
憶えていても、
必要なときにパッと出てこなかったり、
ずっと憶えていても、
今この瞬間、
欲しいタイミングで、
ふっと忘れてしまっていたりすることなのだ、、
だから、
記憶力が良いという語り方は、いらない、
どころか、
厄介な邪魔者になる可能性が高い、、
記憶にとどまっていようと、
欲しい今のこのタイミングでだけ、
忘れている可能性があるということを承知して、
メモを残しておく方がいい、
記録、メモは、
外部装置である訳で、、
それはあまりに優秀過ぎる外部装置であるが故、
メモの習慣、
技術が発達すると、
私が一瞬、
どこにいるのかが分からなくなるような、
言いようのない不安を覚えるのだが、
その不安はあってもいいものだし、
外部装置とともに生きるものの宿命だ、
常に、
なにかメモしなければならないことを、
忘れているような気がする、
生でいいのだということ、
強迫的でなければ、
勉強などできやしない、と千葉さんは言う、
気になることは、
気にすればよいと森田正馬さんは言う、、
この意味での不安異常であることを、、
肯定も否定もせず、、
自己の生の形として静かに鍛えていくこと・・・