<2661>「私が時間であるために」

 お前がまだ生きているものをさわるとき、

 その触感を、、

 時間の経過を、、

 徐々に、

 気持ちの悪さを掴んでいくその芯を、、

 私は、剥がされた、、

 剥がされて、空を向く、、

 あたしには何も起きていない、というときの青さ、、

 私は透明になった、、

 空気から、剥がれた、

 先に立った、、

 しずかに歩き出す、、

 私は観光客のような気分、、

 どこに行く、

 物珍しいものなど、ひとつもなかった、

 ひとつ、、

 

 私は当たり前に生活している人の、

 外部であることを意識する、、

 外部のささくれ、平温、、

 その道は静かだった、、

 人の語らう声が埋まる、、

 私は空を向く、、

 私にも表情がある、というときの白さ、

 その、流れのはやさ、、

 しばらく私は見つめていた、、

 私は、帰ることも、行くことも忘れた、、

 そうして、、

 日時のなかに、送り返されたあと、、

 何度も黙った、、

 私にはここの粒が分からない、

 ここも、ここも、、

 どこか遠いものとして眺める、、

 身体は、上手くなっている、

 跳ねている、、

 あなたを少しの間見る、、

 うん、

 なにもかけるべきものはない、、

 私は練習する、

 身体鍛練的であるということ、、

 私が時間であるために、

 私が、生活の一部であるために、、

 

 私を運べ、、

 私は、ここから一歩も動くことができない、

 という、当たり前の妄想につかまったまま、

 次々に事を成していく身体を、

 不思議とも思わない、、

 少し、通路が必要である、、

 からだを揺するに足りる、、

 何も不安がないということ、

 それは少しこわいことだ、、

 あたしはおそれている、

 おそれていると伝えると、嘘になる、、

 からだがほどけていく、

 水を、水を増やしていて・・・