<726>「道も容れます」

 どちらにせよ、膨らむ。あれが最後に見た膨らみかただったのだと思う、などと流れる。懸命の意味が内と外で異なってくる。困ったものだ、などと笑っていて、果たして私もおんなじではないのか。ひと踏み、次のひと踏みのために、顧みていないことがあるのではないか、などと。

 当たり前に溢れ返って、ごく当たり前だという感想を寄せている。この道々がさっきも見たものであることに驚く。変化はどれだろうか。確かに変わったところがある人に違いないが、

「うけいれます」

などという前からそこの隣へ座って、一緒に話をしていたではないか。窓の外に果たして一度見たものしか映らない、そんなはずはない、という声はどこまで大きい? どこまでも大きい? 適当に忘れていいと思い、適当に忘れただけだからいやにうるさくなって憶えていることがある。それは押し寄せる。この場面ではこの態度、であり続けるという努力様のものがあり、ただ距離を間違っているに過ぎないことでそこいらじゅうが溢れそうだ。