<2965>「なんでもない場面が記憶に決まること」

 どこまでも深く落ちて、

 どこまでも深く醒めたあと、、

 私は水のつもりになる、

 水にはなれない、、

 私が、

 いくらか掛け合わせた、

 計算の産物であること、

 この地上は、

 一体どのように、把握している、

 おそらく、

 私と地上と、、

 同じくらいの知識、、

 よくは分からないながら、

 存在して、

 自分で把握できるよりももっと広いこと、

 様々なことをこなしていく、、

 

 朝はまだ、

 あなたの身体のうちには入らず、

 しずかに隠されている、、

 帰り道に、

 車道や、

 空が、

 やけに私に、

 接近しているように思える、、

 私のかけ算が、

 いま一周して、

 この場面を、

 記憶の一枚にすることを、

 なんとなく決めたようなのだ、、

 なにが起きた訳ではない、

 なんのきない一場面を、

 記憶として取っておくという、

 判断をときどきする、

 もう違う街に、

 思いもしなかった違う街に、

 あっさりと出ていたりする、

 私は、、

 

 あたしは今、

 大事なことは期限までしっかり隠そうという気持ちと、

 いや、

 もうこんなところまで来たのだから、

 別に何かを偽る必要もないのじゃない?

 と静かに語りかけてくる、

 二つの波を持っています、、

 あたしは、

 優しくなった訳じゃないな、

 ひらいた訳でもないな、、

 閉じることによってひらくのです、とどこかの放送できいた、

 それが徐々に、

 身体化されはじめただけのことだと思うのです、、

 あたしは生活者として、

 少しばかり素直になり、

 少しばかり当たり前になった、、

 身体で言うとそんなところです・・・