<2961>「作業する人、数が少ないもの」

 私の死んだおばあちゃんが、

 朝、

 まだ4時とか5時なのじゃないか、

 起きて家中を掃除してまわっていたり、

 ベッドに来て、

 寝る前だったかな、

 起きたあとだったかな、

 上体起こしの腹筋をしていたことなどをさ、

 たまに思い出したりするよ、

 それでいていつもやわらかい笑顔だったな、

 簡単なことではない、

 簡単なことではないよ、

 とても人間として出来た人だったのだということに、

 気がつくのには時間がかかります、、

 

 前に、

 片桐はいりさんの本の中で、

 はいりさんのお母さんの話を読んだ気がする、

 年老いていて、

 はいりさんは休んでほしいけど、

 お母さんはじっと座って休んでいるのが嫌な人だったと、

 いつも何かしらの作業をしていたと、

 そういう人の気持ちがよくわかる、

 端で見てて休んでほしいと思う人の、

 気持ちもよく分かるけどね、、

 動いてなきゃいられないというのと、

 動くことが元気さにつながるのと、

 動いていないと不安なのと、

 いろいろが混ざりあって、ね、、

 

 熱量があると、

 どうまとまって良いものか、

 分からないものなのだろう、、

 身体は、

 だからよく方向性を持ってくれたな、と思う、、

 これだけの時間をかけて、

 ゆっくりと、

 あたしの身体と心とは、

 バランスをとっていく、、

 

 あなたはどこへ行く、、

 まったく知らない場所、

 行ったことのある場所へ、

 あなたは歩を重ねていく、、

 あなたは、

 縁や義理を大事にするのね、

 なるほど、

 私はそうなのかもしれない、、

 人間は思っている以上に受身だ、、

 だから、

 働き掛けていくことは、

 ただ単にこの地上に、

 数が少ないことなのかもしれない、、

 私は数が少ないもののことが気になる、、

 働き掛けてみたら、

 ほかではない、

 私が違ってくる・・・