真剣さというものも、
染みついてしまうと、
真剣でいるのか、いないのか、、
よく分からなくなる、、
それでいいではないか、
ではなく、
これはどういう状態なのか、
に粘り強く付き合っていく必要がある、、
私は、
しつこさがなくなった訳ではなく、
しつこさを向ける対象を覚えただけなのだな、
例えば勉強、
例えばきくこと、、
例えば没入、集中、、
そういう場所に、しつこさを向けていくと、
他人をうんざりさせないだけでなく、
自分も健やかになっていく、、
つまり大きなエネルギーの、
適切な発揮の場が見つかれば、
それが気持ち良いのは当然かもしれない、、
勉強を繰り返して、
なかばはあそびみたいになり、
少し柔軟になったから、
本は読むけれど、
読むことだけにこだわらない、
人と話すのも 同じく勉強で、
人と話すのも 同じく仕事だと認識し始めたから、
わりと自由になってきている、、
喋った方が元気になるという、
母親たちが当たり前に実践していて、
幼き頃、
ようこの人たちは延々と話して、
一体全体何をやっているのだろうという、
謎が解けた場所にいま立っているという感じです、、
この時間が、
少しでも長く維持されたらいいな、
という場所に立てること自体が、
もう既に幸福で、
だから実際この時間が長く続くかどうかは、
本当はどちらでもいいのだと思います、
例えば高校の友達とか、
アホほど喋り倒してきた時間はもうここにはないのだけれど、
その記憶だけでまた会えるのだから、
この刻印の仕方というのはすさまじいものです、、
今日が最後でも、
という意気込みは、
意気込みとしては正しいのだけど、
実践していると、
なにか少し変な感じはします、、
やはり今日がどこか最後ではないはずと思って、
死ぬ部分が人間には、
あるのではないでしょうか・・・