<2955>「真剣さ、しつこさ、読書の変化、刻印」

 真剣さというものも、

 染みついてしまうと、

 真剣でいるのか、いないのか、、

 よく分からなくなる、、

 それでいいではないか、

 ではなく、

 これはどういう状態なのか、

 に粘り強く付き合っていく必要がある、、

 

 私は、

 しつこさがなくなった訳ではなく、

 しつこさを向ける対象を覚えただけなのだな、

 例えば勉強、

 例えばきくこと、、

 例えば没入、集中、、

 そういう場所に、しつこさを向けていくと、

 他人をうんざりさせないだけでなく、

 自分も健やかになっていく、、

 つまり大きなエネルギーの、

 適切な発揮の場が見つかれば、

 それが気持ち良いのは当然かもしれない、、

 

 勉強を繰り返して、

 なかばはあそびみたいになり、

 少し柔軟になったから、

 本は読むけれど、

 読むことだけにこだわらない、

 人と話すのも 同じく勉強で、

 人と話すのも 同じく仕事だと認識し始めたから、

 わりと自由になってきている、、

 喋った方が元気になるという、

 母親たちが当たり前に実践していて、

 幼き頃、

 ようこの人たちは延々と話して、

 一体全体何をやっているのだろうという、

 謎が解けた場所にいま立っているという感じです、、

 

 この時間が、

 少しでも長く維持されたらいいな、

 という場所に立てること自体が、

 もう既に幸福で、

 だから実際この時間が長く続くかどうかは、

 本当はどちらでもいいのだと思います、

 例えば高校の友達とか、

 アホほど喋り倒してきた時間はもうここにはないのだけれど、

 その記憶だけでまた会えるのだから、

 この刻印の仕方というのはすさまじいものです、、

 

 今日が最後でも、

 という意気込みは、

 意気込みとしては正しいのだけど、

 実践していると、

 なにか少し変な感じはします、、

 やはり今日がどこか最後ではないはずと思って、

 死ぬ部分が人間には、

 あるのではないでしょうか・・・