訳の分からないことを、
どこまでも話そうとするところにも、
人間の狂気はありますが、
それを、あくまでも、
理解しようとして、
どこまでも聞いていくところにも、
狂気はあるんです、
だから、
どっこいどっこいかもしれない、、
私が、
そういう狂気、
壊れたように話し続ける狂気にぶつかって、
疲れても、
滅入らないのは、
おかしいのはお前自身も同じだ、と、
どこかで自分に対して思っているからかもしれない、
吉本さんが、
心的現象論の内部で見せる、
そういった、
一見了解不能と思える相手との、
コミュニケーションをはてのはてまで続け、
なんとか食らいついていこうとする姿勢などを見ると、
私などは元気になり、
ニコニコしてしまう、、
そして、
おそらくこの態度はやさしさではない、、
執念であり、
狂気であり、、
底の底でさめている仕方であり、
しかしさらにもう一枚底では、
ふつふつと湯がたぎっているというありさまだ、
昔、高橋源一郎さんの講演を聴きに行ったときだと思うが、
それは橋本治さんについてのものだ、
新宿のカルチャーセンターだったか、
橋本さんも、
いわゆる精神的病にある人の、
何だか訳の分からない人の、
話にあくまでも、
どこまでも付き合おうとしたという話をしていた、
高橋さんも笑顔だった、
観客も笑顔だった、
私もニコニコしていた、、
どこにも人を馬鹿にしたところのない、
まっすぐな笑顔だ、、
この嬉しさはなんだろう、、
ああ、
どうしようもない執念や、
狂気を抱えているのは私だけではないという安心感、
しかしこんなもの、
自分で育てたかもしれないですよ、
でも作ったおぼえはない、、
話す側のしつこさというのは分かりやすい、
でも、分かりにくいけど、
聞く側のしつこさという、執念の形もあるんです・・・