<2950>「聞く側のしつこさ、執念」

 訳の分からないことを、

 どこまでも話そうとするところにも、

 人間の狂気はありますが、

 それを、あくまでも、

 理解しようとして、

 どこまでも聞いていくところにも、

 狂気はあるんです、

 だから、

 どっこいどっこいかもしれない、、

 私が、

 そういう狂気、

 壊れたように話し続ける狂気にぶつかって、

 疲れても、

 滅入らないのは、

 おかしいのはお前自身も同じだ、と、

 どこかで自分に対して思っているからかもしれない、

 

 吉本さんが、

 心的現象論の内部で見せる、

 そういった、

 一見了解不能と思える相手との、

 コミュニケーションをはてのはてまで続け、

 なんとか食らいついていこうとする姿勢などを見ると、

 私などは元気になり、

 ニコニコしてしまう、、

 そして、

 おそらくこの態度はやさしさではない、、

 執念であり、

 狂気であり、、

 底の底でさめている仕方であり、

 しかしさらにもう一枚底では、

 ふつふつと湯がたぎっているというありさまだ、

 

 昔、高橋源一郎さんの講演を聴きに行ったときだと思うが、

 それは橋本治さんについてのものだ、

 新宿のカルチャーセンターだったか、

 橋本さんも、

 いわゆる精神的病にある人の、

 何だか訳の分からない人の、

 話にあくまでも、

 どこまでも付き合おうとしたという話をしていた、

 高橋さんも笑顔だった、

 観客も笑顔だった、

 私もニコニコしていた、、

 どこにも人を馬鹿にしたところのない、

 まっすぐな笑顔だ、、

 この嬉しさはなんだろう、、

 ああ、

 どうしようもない執念や、

 狂気を抱えているのは私だけではないという安心感、

 しかしこんなもの、

 自分で育てたかもしれないですよ、

 でも作ったおぼえはない、、

 話す側のしつこさというのは分かりやすい、

 でも、分かりにくいけど、

 聞く側のしつこさという、執念の形もあるんです・・・