<2933>「楽しく、真剣に、という言葉」

 いずれゆっくりと伝わるから大丈夫なんだ、

 あなたは死んでもいいとは思っていませんよ、

 ただ、

 いまは子ども時分に、

 なぜあれだけ大人が真剣に、

 楽しく、真剣にね、

 と繰り返していたか、

 それをゆっくりと理解し始めたところです、、

 子どものころは、

 真剣に、楽しくと言われたって、

 早く家に帰って、

 テレビを見たり、

 ゲームをしたりしたいと思っただけでした、、

 

 それはやはり、

 いくら上手く機能していないとは言え、

 家庭の庇護のもとにあったからなのです、

 籠の中にいたからなのです、、

 大人になると、

 私たちは想像以上にむき出しです、

 吹きっさらしです、、

 なにも守ってくれるものがありません、

 そうすると、

 身体は元気でも、、

 これは下手したら死ぬな、

 ということを考えながら生きなければなりません、

 それは、きっと、

 父親になっても、

 母親になっても、、

 おんなじことでしょう、、

 守る立場なのであって、

 守ってもらえる立場ではないので、

 吹きっさらしです、

 吹きっさらしのままなのです、、

 

 そうすると、

 私たちのような大人に出来ることは、

 一瞬を、

 一日を、

 真剣に送ることだけなのです、、

 必ずそこに、皆、

 どんな形であれ辿り着くのだと思います、、

 また、

 いい気になって調子に乗るのでも、

 自分をヘコませているのでもなく、

 もとよりそんなことをしている時間はもう残されていない、

 今日でひょっとしたら、

 お前という人間は最後かもしれないよ、としたら、

 楽しく行くしかないのです、、

 あのとき大人たちが、

 必然的に到達していた場所に、今、

 私もゆっくりと到達しつつあると思います、、

 生まれたときから私は人間ですが、

 とても人間とは思えないようなところからはじまって、

 だんだん人間になってきた、

 吹きっさらしの場所に立ってはじめて、

 人間とは何かがだんだん分かるようになってきた・・・