だんだん私という人間が流れて、
馴染んで、
うまく受け容れられるようになった、
さて、
ここからだ、、
私はあまり見向きもされないような状況で、
コミュニケートして、
状況を打開していくのは得意だ、、
けれど、
そうして不安や好奇心から、
なんとかその状況を打開しようとして、
当然の結果として受け容れられた、
そのあとが苦手だ、
そのあとが苦手なのをどうにかしたい、、
不安や好奇心が原動力だから、
安心して受け容れられている状況が苦手なのだ、
でも、そうすると、
というか、
私が次々とそうしてきた理由があるのだが、
歓迎されている空気を感じると、
どこか別の場所に動きたくなってしまうのだ、
そして実際にそうしてきた、、
しかしもうそうではない、
歓迎されているところから、
それが深まる、
それを深めるという境地に、
そっと入っていきたい、
次の人間になりたい、、
苦手なら、
違う段階の、
違うゲームを始めたんだと、思えばいい、、
まだ『会話の全技術』を読んでいないけれど、
齋藤孝さんならそういうような気がする、、
あたしは透明であるような認識だけど、
当然のごとく得意不得意があって、、
例えばあまり人の好き嫌いはない、
だから誰であれ、
比較的簡単に話し掛け、
話し込むことができるけれど、、
特別この人でなければだめということもないから、、
どんどんと、
会う度に関係の度合を深くしていくのも苦手だ、、
金沢っていうのは魚がおいしいです、
お寿司がおいしいです、、
で、
それがおいしいのも分かります、
それでも、
私は帰ってきた次の日に、
はま寿司やスシローに行くことが可能です、、
同じお寿司でももはや別ものですが、
だからどうということも思いません、
普通に食事します、それらを嫌いになることもありません、
そういうことが、
どこから来たか、
まずいとかうまいとかが分かっても、
それによって付き合いを変えないと、
どこかで決めたのかもしれません、