<2951>「違う、違うゲームの人間段階」

 だんだん私という人間が流れて、

 馴染んで、

 うまく受け容れられるようになった、

 さて、

 ここからだ、、

 私はあまり見向きもされないような状況で、

 コミュニケートして、

 状況を打開していくのは得意だ、、

 けれど、

 そうして不安や好奇心から、

 なんとかその状況を打開しようとして、

 当然の結果として受け容れられた、

 そのあとが苦手だ、

 そのあとが苦手なのをどうにかしたい、、

 不安や好奇心が原動力だから、

 安心して受け容れられている状況が苦手なのだ、

 

 でも、そうすると、

 というか、

 私が次々とそうしてきた理由があるのだが、

 歓迎されている空気を感じると、

 どこか別の場所に動きたくなってしまうのだ、

 そして実際にそうしてきた、、

 しかしもうそうではない、

 歓迎されているところから、

 それが深まる、

 それを深めるという境地に、

 そっと入っていきたい、

 次の人間になりたい、、

 苦手なら、

 違う段階の、

 違うゲームを始めたんだと、思えばいい、、

 まだ『会話の全技術』を読んでいないけれど、

 齋藤孝さんならそういうような気がする、、

 

 あたしは透明であるような認識だけど、

 当然のごとく得意不得意があって、、

 例えばあまり人の好き嫌いはない、

 だから誰であれ、

 比較的簡単に話し掛け、

 話し込むことができるけれど、、

 特別この人でなければだめということもないから、、

 どんどんと、

 会う度に関係の度合を深くしていくのも苦手だ、、

 金沢っていうのは魚がおいしいです、

 お寿司がおいしいです、、

 で、

 それがおいしいのも分かります、

 それでも、

 私は帰ってきた次の日に、

 はま寿司やスシローに行くことが可能です、、

 同じお寿司でももはや別ものですが、

 だからどうということも思いません、

 普通に食事します、それらを嫌いになることもありません、

 そういうことが、

 どこから来たか、

 まずいとかうまいとかが分かっても、

 それによって付き合いを変えないと、

 どこかで決めたのかもしれません、