<2871>「私が目覚めるとき」

 選択肢が、、

 良い方向になら調子に乗る、

 悪い方向にならへこます、と、

 その二択だったのです、

 だから、

 陽気な場所でははしゃいでいなければならないと思っていたし、

 真面目な場所ならば、

 自分をヘコませていなければ、と思っていました、、

 でもそれはどちらも極端なのですし、

 方向性も変でした、、

 そのことに気がつくのに時間がかかりました、、

 今は、

 どこへ出ても、楽しく真剣に、

 今日が最後かもしれないと思って、

 生きようとしています、、

 

 決して1日で全てを変えようとはしないけれど、

 人が、話したいとか、、

 話してくれないから不満であるとかに、

 気がついているのに、

 気がついていないようにすることをやめること、

 open to everyone、

 大体、

 私は一方的に、

 いろいろなものをもらいすぎています、、

 一方的に、

 もらいすぎていることに気がつくのにも、

 大層な時間がかかりました、、

 同じ量は返せないけれど、、

 もう愛していく立場ではないでしょうか、、

 

 私が目覚めるとき、

 幼児の層がイヤイヤをし、、

 子どもの層が光を見留め、

 少年の層が夜を惜しみます、、

 青年の層は、

 一日の行方を探していて、、

 大人の層は、

 静かにその全体を包みます、、

 老年の層は、、

 僅かな予感として、、

 包まれた全体に優しく微笑みます、、

 ますかしら、

 

 ガードの仕方としては、、

 大切な人が本当に死んだとき、

 少しも悲しくないように、

 という方向を持っていたのです、、

 まともに受けてしまえば、

 立ち直れないからと思ったからです、

 でも、

 大切な人が死んで、

 まともに受けれないことの方が、

 もっとつらくはないかしら、

 と思うようになりました、、

 私はまともに受け止めたい、