これが私の幸福論、というものに、
少し違和感があるのは、
私がそこから遠いからではなく、、
私も、
そうして歓びがあったとき、
自己の中でそれを価値化すると、
変な方向につまずくのを、
知っているからなのです、、
価値化するとなにかがゆがむ、、
例えば掃除ひとつ取りましょう、
例えば久しぶりの箇所です、、
きれいになります、、
きれいにすることはいいことだ、
気持ちの良いことだ、
どんどんやるべきだし、やった方がいい、
なぜ今までやらなかったのだろう、
絶対やるべきだ、
やらないのはよくない、
とすると間違えて、
掃除からまた、遠ざかってしまうのです、
そのときかろやかな風が吹いたのを、感じられたのなら、、
そのままにしておくこと、
特に価値化もしないまま、
気持ちいい、やろう、
とだけ思っておくくらいで、
ちょうど良いのです、
私は、
私の周りにいる人たちで、
その都度世界のイメージを作っている、、
だもんで、
これは何か、
ずっと昔からこのイメージのなかで固定された世界で、
ずっとずっと生きてきたような錯覚をしてしまう、、
そうして時間が流れると、、
当たり前に存在したはずの人たちは、
当たり前にいなくなってしまい、
私は大袈裟ではなく、
世界が崩れるくらいの衝撃を受ける、、
私が当たり前だと思っていた世界は、
一体どこへ行ってしまうのだろう、、
何かを静かに築き、
何かを当たり前に積み重ねていても、
そんなことはまるで関係がないよ、とばかり、
文脈も何もあったものではないような要因で、
死んでしまい、
壊されてしまうのが人間です、
それは、生き物だから、
その突然の切断自体は、
とても当たり前だ、自然なものなのだけれど、、
そんなことはあってほしくない、
なるべくなら、起きてほしくない、、
私はこれがどこまでも先に通じていてほしいと思う、
その、思うこと自体に、
体重をかけていく、
それが人間の心ということで、、
物語を見、作るということではないでしょうか・・・