<2879>「幸福論、イメージ、物語」

 これが私の幸福論、というものに、

 少し違和感があるのは、

 私がそこから遠いからではなく、、

 私も、

 そうして歓びがあったとき、

 自己の中でそれを価値化すると、

 変な方向につまずくのを、

 知っているからなのです、、

 価値化するとなにかがゆがむ、、

 例えば掃除ひとつ取りましょう、

 例えば久しぶりの箇所です、、

 きれいになります、、

 きれいにすることはいいことだ、

 気持ちの良いことだ、

 どんどんやるべきだし、やった方がいい、

 なぜ今までやらなかったのだろう、

 絶対やるべきだ、

 やらないのはよくない、

 とすると間違えて、

 掃除からまた、遠ざかってしまうのです、

 そのときかろやかな風が吹いたのを、感じられたのなら、、

 そのままにしておくこと、

 特に価値化もしないまま、

 気持ちいい、やろう、

 とだけ思っておくくらいで、

 ちょうど良いのです、

 

 私は、

 私の周りにいる人たちで、

 その都度世界のイメージを作っている、、

 だもんで、

 これは何か、

 ずっと昔からこのイメージのなかで固定された世界で、

 ずっとずっと生きてきたような錯覚をしてしまう、、

 そうして時間が流れると、、

 当たり前に存在したはずの人たちは、

 当たり前にいなくなってしまい、

 私は大袈裟ではなく、

 世界が崩れるくらいの衝撃を受ける、、

 私が当たり前だと思っていた世界は、

 一体どこへ行ってしまうのだろう、、

 

 何かを静かに築き、

 何かを当たり前に積み重ねていても、

 そんなことはまるで関係がないよ、とばかり、

 文脈も何もあったものではないような要因で、

 死んでしまい、

 壊されてしまうのが人間です、

 それは、生き物だから、

 その突然の切断自体は、

 とても当たり前だ、自然なものなのだけれど、、

 そんなことはあってほしくない、

 なるべくなら、起きてほしくない、、

 私はこれがどこまでも先に通じていてほしいと思う、

 その、思うこと自体に、

 体重をかけていく、

 それが人間の心ということで、、

 物語を見、作るということではないでしょうか・・・