私は気がついているのか、
気がついていないのか、
迷うまま、、
からだはしずかにあり、、
日々はあり、
水は流れ、
あなたはともにあり、
別の作業をし、、
私は歳を取り、
頭がしずかになる、、
しずかな営みに目を向ける、
外に出ていきたくなる、、
師匠にあたる人の言葉が、
今も残り、、
私はまず、
出来上がるかどうかではなく、、
一度そうしてみるという姿勢の方が、
大事なのではあるまいか、
牛河さんも、
一度は試していたでしょう、、
関係に入らないことにより、
私は間違いをしていないと考えるのは、
大きな間違いなのだと、
この頃気がつきはじめるのです、、
お前はそういう、
道端で暮らしてもいいから、
などという、
自分を捨てる話をせないで、、
まともに生き、
ひとりの人を愛しなさい、、
私はまず、
一郎さんに共感していくまえに、
共感しながら、
現実を生きてみることが大事なのではないか、、
まともな世界に、
どんどんと入っていくにつれ、
どうしようもなく悲しくなるのは、
私に、
家族的なものの影すら、
ないからなのだと分かりました、、
自分は間違いとは無縁だという、
大間違いを、、
幸福を追求したら、
なにも鍛錬しなくなるのではないかという、
嘘の言い訳を、、
私はしないで行きましょう、、
不幸や、
不遇に対して、
それにもかかわらず、というのは、
美談にはなりますが、
それほどむつかしいことではないのです、
幸福で、
何も欠けるところがないのに、、
それでもやっていくことの方が、
いくらもむつかしいのです・・・