<2863>「所感」

 私は気がついているのか、

 気がついていないのか、

 迷うまま、、

 からだはしずかにあり、、

 日々はあり、

 水は流れ、

 あなたはともにあり、

 別の作業をし、、

 私は歳を取り、

 頭がしずかになる、、

 しずかな営みに目を向ける、

 外に出ていきたくなる、、

 

 師匠にあたる人の言葉が、

 今も残り、、

 私はまず、

 出来上がるかどうかではなく、、

 一度そうしてみるという姿勢の方が、

 大事なのではあるまいか、

 牛河さんも、

 一度は試していたでしょう、、

 関係に入らないことにより、

 私は間違いをしていないと考えるのは、

 大きな間違いなのだと、

 この頃気がつきはじめるのです、、

 お前はそういう、

 道端で暮らしてもいいから、

 などという、

 自分を捨てる話をせないで、、

 まともに生き、

 ひとりの人を愛しなさい、、

 私はまず、

 一郎さんに共感していくまえに、

 共感しながら、

 現実を生きてみることが大事なのではないか、、

 

 まともな世界に、

 どんどんと入っていくにつれ、

 どうしようもなく悲しくなるのは、

 私に、

 家族的なものの影すら、

 ないからなのだと分かりました、、

 自分は間違いとは無縁だという、

 大間違いを、、

 幸福を追求したら、

 なにも鍛錬しなくなるのではないかという、

 嘘の言い訳を、、

 私はしないで行きましょう、、

 不幸や、

 不遇に対して、

 それにもかかわらず、というのは、

 美談にはなりますが、

 それほどむつかしいことではないのです、

 幸福で、

 何も欠けるところがないのに、、

 それでもやっていくことの方が、

 いくらもむつかしいのです・・・