<2852>「失敗とみとめることから」

 私は、

 ひとつの大きな失敗を、

 失敗と認められず、

 いつも、常に、

 その影響の下にあったことが分かるまで、

 十四年かかりました、

 私は、

 物分かりの良いようなフリをして、

 人を、置き去って、

 身軽になったつもりで、

 実際は、1人、

 いや、おそらくは2人を、

 損なうようなことをしていたことが、

 これは、

 今になって分かったのではありません、

 ずっと分かっていたのですが、、

 そうではないと言い聞かせ続けてきました、、

 人を損なうようなことをしていた、、

 

 自分を有利な場所に置くために、

 自分を下げるのではなく、

 自分がどうしようもなく、みっともないということを見留めて、

 そこから形にかかわらず、、

 どこでもただ飛び込んで、

 愚かさや、

 間違いを含んで進んでいく、

 そういう地道な道を深化させる人間になるために、

 難しい仕事だとは承知で、

 あたしは自分を下げたいと思います、、

 まだ若かったから、

 まだ子どもだったから、

 では取り返しのつかないことがあるのだということに、

 気がつくまでに時間がかかりました、、

 

 そういうことに思いいたるのはこわいことですが、

 気がつかないでこわくないよりは、いくらかいいです、

 いいです、というのは、

 生きていて、

 その方が気持ちに対してすっとかかわれるということを示します、、

 自分の気持ちに対して、

 必要のない、迂回路を取らなくていい、ということです、、

 当たり前に生きていることが、

 あまりにもこわすぎる、

 そういった瞬間を握り締めて、

 私は進めるだけ、

 一日が無事に訪れるのなら、訪れただけ、

 進むのだと思います、、

 ねえ、

 私は、

 ちょっと前まで、

 大きな失敗は何ひとつないと、思っていたんですよ、

 こわいでしょう、、

 失敗を、

 きちんと失敗と認めることからしか、

 先への道はひらかれないんですね、

 この物事の重みが、

 私を地面へと立たせます、、