私は、
ひとつの大きな失敗を、
失敗と認められず、
いつも、常に、
その影響の下にあったことが分かるまで、
十四年かかりました、
私は、
物分かりの良いようなフリをして、
人を、置き去って、
身軽になったつもりで、
実際は、1人、
いや、おそらくは2人を、
損なうようなことをしていたことが、
これは、
今になって分かったのではありません、
ずっと分かっていたのですが、、
そうではないと言い聞かせ続けてきました、、
人を損なうようなことをしていた、、
自分を有利な場所に置くために、
自分を下げるのではなく、
自分がどうしようもなく、みっともないということを見留めて、
そこから形にかかわらず、、
どこでもただ飛び込んで、
愚かさや、
間違いを含んで進んでいく、
そういう地道な道を深化させる人間になるために、
難しい仕事だとは承知で、
あたしは自分を下げたいと思います、、
まだ若かったから、
まだ子どもだったから、
では取り返しのつかないことがあるのだということに、
気がつくまでに時間がかかりました、、
そういうことに思いいたるのはこわいことですが、
気がつかないでこわくないよりは、いくらかいいです、
いいです、というのは、
生きていて、
その方が気持ちに対してすっとかかわれるということを示します、、
自分の気持ちに対して、
必要のない、迂回路を取らなくていい、ということです、、
当たり前に生きていることが、
あまりにもこわすぎる、
そういった瞬間を握り締めて、
私は進めるだけ、
一日が無事に訪れるのなら、訪れただけ、
進むのだと思います、、
ねえ、
私は、
ちょっと前まで、
大きな失敗は何ひとつないと、思っていたんですよ、
こわいでしょう、、
失敗を、
きちんと失敗と認めることからしか、
先への道はひらかれないんですね、
この物事の重みが、
私を地面へと立たせます、、