<2851>「まちがえざるを得なかったふたつの生の」

 あたしがすっかり沈黙してしまってから、

 ここに漏れることは、すべて、、

 また手の中にしまえる、、

 ただの、

 ひとりの光景だと、

 私に知らされるものの、

 その底に、

 ゆっくりとのびていくのを、、

 まだ長い、

 長い長い場所で、

 ゆっくりと見ています、、

 

 これから先もずっと生きると想定して、

 やりたいことと、

 今死ぬとして、やっておきたいこと、、

 ふたつを数えると、、

 ずっと生きると想定して、

 やりたいことの方が、遥かに多いのでした、

 それは幸せなことかもしれません、

 ひとを愛するのは課題なのかもしれません、

 ひとを愛するのは、何故課題なのでしょうか、、

 あたしは、

 過去のことなどもういい、

 どうでもいいという気持ちと、

 過去のこと以外、

 私に関係のある物事はないという気持ちと、

 両方をします、、

 違和感から、

 抗議をしているのは分かります、、

 まちがえざるを得なかった、ふたつの生を、

 あたしは、

 どう掴み直していくか、

 演技として、

 外界に出会っていた私たちの家族を、

 どう捉え直していくか、、

 

 演技をしていると、

 本当から遠く離れて、

 楽しさを、

 真剣さから、分離してしまっていました、、

 しかし、、

 人が次々に死にます、、

 もう一度会うはずだった人、

 これから初めて会うはずだった人に、

 会えなくなり、、

 いずれ私もそうなるであろうことが、明白だと、、

 楽しさと、

 真剣さとは、

 ひとつところに戻ってきます、、

 私は生を、

 肯定したり否定したりしない、

 間違えざるを得なかった人を、

 遠くから、

 関係のないように眺めるのではなく、、

 同じ自分も、、

 そういう愚かさの中心に戻ってきて、、

 今日死ぬのかもしれないと思い、

 楽しく真剣に行くだけだろうと思います・・・