<2663>「調子に乗るのではなく」

 あたしの只中の肌よ今はまた、

 ここに声を渡す仕事を、、

 私は果たしていくのか、、

 私は細胞のことは知らないでいる、 

 細かい仕事のことは、、

 しかし、あたしは、、

 調子に乗るのではなく、よろこんでいく、、

 ああ、

 こんなところにも、

 私の残したものがあった、

 線があった、と、

 順にひろっていく、、

 

 対象と、

 私とが、

 徐々に育っていく、、

 そういうものの読み方ができていたらいい、

 わたしは、

 楽しくて、

 興奮して喋って、別れたあと、、

 ほうけて、

 あたしのなかには何が詰まっているのか、

 まったくもって分からなくなることがある、

 だから、

 日常の全てがそれでは、いけないのだと思いますが、

 しかしまた、、

 あたしが一時空白になるような、

 楽しい時間を経て、、

 日常へかえってくる運動の、

 そのうねりは、

 生きていくということをとても活発にします、

 とも思いました、、

 

 脳が、

 この歳ぐらいで、落ち着いてくるという話を、

 前にきいたからかもしれません、、

 しかしたしかに、、

 私ははしゃがなければ人に応えられないのではないか、

 という不安を取り下げることが、できるようになりました、、

 そんなことを求めている人はいない、

 むしろ、

 穏やかに、

 僅かに自己をひらくことで、、

 粒を徐々にその対話空間へ、

 浸透させていく、、

 そのことで生きていることを確認できる場所が、

 またひとつうまれること、

 そのことを静かに見つめるようになれました、、

 

 あなたが訳の分からない光をそこに見ていても、

 それは私も同じなのです、、

 本当のところは伝わりきらないと、

 しかしそれは諦めにはつながらないのでした、、

 個人しかいなくなった場所にも、

 生きている者同士の、

 声の掛け方があるはずなのでした・・・