あたしはただ夜の方向に浮かんだ、、
確かに、こういうものと親しい私が居た、、
それは、決して嫌な感じではない、
ただ、
私は既に昼の人間であると感じた、
私は幻想を、
あの昼の一時から二時のあいだぐらいの光の中に、
既に全面的に差し替えている、と思った、、
今は、
身体など勝手にしておけ、というあの頃の気持ちはなく、
しなやかに強くあれることを願う、
そういう人間になっている、、
現実の、
印象深い出来事に、
会う度に思うが、、
私は、
私の仕事の線と、
現実と付き合う線と、
ふたつの線を走らせていることを知る、、
自分では、普段、得意気に、
その両方を上手く使い分けているような身振りですが、
なんのなんの、
現実の線が、濃厚だと、
私はもうひとつ持つ自分の線を抱いて、
ぼうっとしてしまう、
うろたえてしまう、
これも、しかし歳を重ねたせいか、
うろたえからまた自分の線に復帰するのも、
いくらかスムーズに、
いくらか素早くなっている、、
二つの線を明確に持っていると、
現実のなかにいるとき、
なんとなく照れてしまいますが、、
親しい人は、
案外そんなこと知らないでいてくれたり、
もし知っていたとしても、
知らないようなところで、通してくれたりするので、
これはいくらか生き易いことだな、と思います、
一方で、
望むと、望まざるとにかかわらず、
荷を背負っているのだと、
いう話、福田さんがしていた話も、
徐々に分かり始める、
その入口にきているのかなとも思います、
ただ無邪気に、
喜んで勉強をしていた時期から、
やや遠くに来て、
荷を背負うところの段階へ来たのかなと思います、
吉本さんが言っている、
25時間目がどこにあるのか、
うろうろきょろきょろと探していた時期もありました、
でも今は自明だと思います、、
私が現実の出来事の線と、
別に持っている線が、それなのです・・・