<2664>「現実の線と、私の線と」

 あたしはただ夜の方向に浮かんだ、、

 確かに、こういうものと親しい私が居た、、

 それは、決して嫌な感じではない、

 ただ、

 私は既に昼の人間であると感じた、

 私は幻想を、

 あの昼の一時から二時のあいだぐらいの光の中に、

 既に全面的に差し替えている、と思った、、

 今は、

 身体など勝手にしておけ、というあの頃の気持ちはなく、

 しなやかに強くあれることを願う、

 そういう人間になっている、、

 

 現実の、

 印象深い出来事に、

 会う度に思うが、、

 私は、

 私の仕事の線と、

 現実と付き合う線と、

 ふたつの線を走らせていることを知る、、

 自分では、普段、得意気に、

 その両方を上手く使い分けているような身振りですが、

 なんのなんの、

 現実の線が、濃厚だと、

 私はもうひとつ持つ自分の線を抱いて、

 ぼうっとしてしまう、

 うろたえてしまう、

 これも、しかし歳を重ねたせいか、

 うろたえからまた自分の線に復帰するのも、

 いくらかスムーズに、

 いくらか素早くなっている、、

 二つの線を明確に持っていると、

 現実のなかにいるとき、

 なんとなく照れてしまいますが、、

 親しい人は、

 案外そんなこと知らないでいてくれたり、

 もし知っていたとしても、

 知らないようなところで、通してくれたりするので、

 これはいくらか生き易いことだな、と思います、

 一方で、

 望むと、望まざるとにかかわらず、

 荷を背負っているのだと、

 いう話、福田さんがしていた話も、

 徐々に分かり始める、

 その入口にきているのかなとも思います、

 ただ無邪気に、

 喜んで勉強をしていた時期から、

 やや遠くに来て、

 荷を背負うところの段階へ来たのかなと思います、

 

 吉本さんが言っている、

 25時間目がどこにあるのか、

 うろうろきょろきょろと探していた時期もありました、

 でも今は自明だと思います、、

 私が現実の出来事の線と、

 別に持っている線が、それなのです・・・